
「大工と猫」
江戸時代のお話です。
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近所でも評判の腕の良い大工の安五郎。
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長屋の住人の為に棚ややぶれ戸の修理してくれました。
「仕事じゃないんで。近所に住んでいるんですから」と
手間賃をもらう事はしませんでした。
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安五郎は子供達にも玩具を作ってあげました。
その玩具は手の平に乗る程の木彫りの猫でした。
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安五郎には忘れられない猫がいました。
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昔飼っていたゴンという不細工で無愛想な野良猫です。
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ある雨の日。安五郎の家の土間に逃げ込んで来たゴン。
ずぶ濡れで、犬に咬まれたのか傷だらけ血だらけでした。
安五郎が近寄るとしゅうしゅうと言って毛をさか立てますが、
寒さでガタガタ震えていました。
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餌も食べず一晩警戒していたゴンでしたが、
安五郎が翌日眼を覚ますと布団の中で丸まっていました。
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その日からゴンは居候になりました。
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安五郎は独り身。
田舎から大工の見習いに江戸に出て来ましたが、
腕の良さが災いし、うぬぼれて
親方や兄弟子たちとの折り合いが悪く、
あちこち渡り大工をしながら気楽に暮らしていました。
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女房ももらいましたが
苦労ばかりかけた女房は二、三日寝込んで
そのまま死んでしまい、
大事にしてやれなかった後悔ばかりで
以後独り身を通していました。
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ゴンが迷い込んだ時、
安五郎はふと「こいつもひとりぽっちで、いやがられながら、
あちこち居候をして生きているんだ」と思い、
この汚い猫が愛おしくなりました。
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ゴンと暮らすようになった安五郎は
生きる張り合いが出来ました。
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朝仕事へ出掛ける時には昼飯を作って置いてきて、
帰りには魚屋に寄って、
小魚のお土産を買って帰りました。
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ゴンが来てからと言うもの、
仕事場でもケンカをする事もなくなり
穏やかな毎日を送るようになりました。
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そんなある日、
安五郎は重い眼の病気にかかってしまい、
医者からはいずれ全く見えなくなるだろうと言われました。
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安五郎は「もう大工の安五郎は死んだ。
もう終わりだ」と深い悲しみを感じたその時、
ふとゴンのことが浮かびました。
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「もうあいつに魚を買ってやることができない・・・」
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安五郎はゴンに言います。
「かんべんしてくれ、ゴン。
これまでおめえに飯を食わして来たが、
もうだめかもしれねえ。
おれの目はもうすぐつぶれてしまうそうだ。
そうしたら働くことができねぇ。
おめえに食わしてやることができない。
悪いがどっかに行って、
別の飼い主をみつけてくれ・・・」
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その晩、安五郎が寝ていると
目にやさしい手の感触がありました。
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ふと目をさますと、
ひんやりしたものが目に当てられています。
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ゴンでした。
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ゴンが安五郎の目をザラザラした舌でなめていました。
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いつまでも、いつまでもなめつづけます。
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一晩中、ゴンは安五郎の目をなめつづけました。
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朝になり昼になり晩になり、
いく日もの夜が過ぎてもゴンはなめつづけました。
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目が痺れ鈍い痛みが来て気が遠くなりかけた時、
目の中でなにかがはじけたように、
さまざまな色の火花が散りました。
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どろどろしたものが流れだし、
ゴンのザラザラした舌がそれをぬぐっていきます。
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左目の膜がはがれたような気がして、
明るい光が見えました。
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左目が治ったのです。
ゴンが治してくれたのでした。
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右目はたすかりませんでした。
でも片方が見えるようになったので、
また大工の仕事ができるようになりました。
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その後、
ゴンはある日ふと出て行ってしまい
戻ってきませんでした。
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出て行く晩、飯を食ってから、
ゴンが外に出たそうな様子なので、
戸をあけてやりました。
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ちらりとこちらをふりかえった顏を見て、
安五郎は息がとまりました。
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いつの間にかゴンの左目がつぶれて、
片目になっていたのです。
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「ゴン!」と叫びましたが、
すっと闇に見えなくなりました。
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それっきりでした。
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ゴンは自分の目を安五郎にくれて、
いなくなったのです。
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それから歳を取った安五郎は、
ある日、卒中で亡くなりました。
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安五郎の前には
彫り上がったばかりの木の猫が置かれていました。
ゴンにそっくりの見事な木彫りの猫でした・・・。
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