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宇江佐 真里  「十日えびす」

宇江佐真里

「十日えびす」

201906十日えびす

引っ越した先の長屋住人との、

色んなトラブルや助け合いを描いています。

宇江佐さん大好きなんですが、

今作品はバタバタして

最後も落ち着きがない感じでした。

ご近所のうるさい住人とのやり取りも、

あまり感じがよくなくて、

悲しい出来事もありましたが、

中途半端な終わり方。

布団叩きを一日中やるトラブルメーカーのお熊さん。

どっかで似たような

迷惑行為のおばさんがいたなぁ…

時代ものホームドラマです。



いつもありがとうございます
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宇江佐 真理 「おはぐろとんぼ」

20190514おはぐろとんぼ

江戸下町の堀を舞台にした6編の物語。

・・・・・・・・・・・・・・

①ため息はつかない(薬研堀)
②裾継(油堀)
③おはぐろとんぼ(稲荷堀)
④日向雪(源兵衛堀)
⑤御厩河岸の向こう(夢堀)
⑥隠善資正の娘(八丁堀)

・・・・・・・・・・・・・・

再読です。

すっかり物語を忘れていたので

初読みのような感動がありました。

改めて読み返すと、

以前は、

③「おはぐろとんぼ」が好きでしたが、

今回はダントツで、

⑤「御厩河岸の向こう(夢堀)」が

ホロリ感動しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

歳が八つ離れた弟勇介と姉おゆりの

「生と死」の物語。

弟「勇助」が生まれて、姉のおゆりは

大変可愛がり母親より世話をします。

勇助が物心ついたある日、

「自分が生まれる前にどこにいたか覚えている」と

言い出します。

細かく述べる内容を確かめに「夢堀」へ行くと

勇助の言う通りでした。

不思議な勇助の存在に周りも驚くのでした・・・。

そんな勇助が八つの頃、

十六歳になった姉のおゆりに

魚善の武松との縁談が来ます。

おゆりはまだお嫁に行きたくないと断ろうとすると、

勇助が「心配いらない。頼りになる相手だ」

と勧め、相手の両親の事や

生まれて来る子供の事まで

細やかにおゆりに教えるのでした。

勇助は自分はのの様だから

先の事が見えるのだと言います。

しかし、おゆりはお嫁に行ったら勇助と

頻繁に会えなくなる事が寂しいと泣きます。

勇助は、「おいら、姉ちゃんが大好きだから、

次の世でもきょうだいになるよ。

その次の次の世でも。

だから、おいらに何があっても、泣いたり、

悲しんだりしなくていいよ。

その内にまた会えるから。

おいらの眼が動かなくなっても、

おいらがものを喋らなくなっても、

恐れてはいけないよ」

と言うのでした。

そして・・・

「おいら、十六で死ぬよ。

でもまだまだ先だよ。

姉ちゃんの倖せになるのを見届けてからだ。」

と言うのでした・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

勇助は自分が言った通り十六で亡くなります・・・

最後の看取りの晩に

勇助はおゆりに言います。

「仏壇に毎日ままを供えているかい?

時々なら忘れても構やしないよ。

忙しかったら墓参りも無理にすることはない。

肝腎なのは死んだ者の事を

時々思い出してやることさ。

姉ちゃん、今までありがとう・・・」

そう言ってふわりと笑った後、

勇助は亡くなりました・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

勇助は生まれて16年間しか生きませんでした。

その16年間の姉おゆりと

家族との倖せをしみじみ描いています。

おゆりは、子供を産み育てて行く過程で

折に触れて弟勇助を思い出します。

そしていつも見守ってくれている事を励みに

家族を大切にしながら前向きに生きて行くのでした。

読後しんみりとなり、

胸がいっぱいになる物語でした・・・

やっぱり宇江佐真理さんは良いなぁ~




いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「憂き世店(うきよだな)」

20190427憂き世店

鎖国体制が揺らぎ始めた江戸末期。

浪人となった相田総八郎とその妻なみは

江戸・神田三河町に移り住む。

共に帰封をめざしながらの貧しくも温かい生活の中、

なみは総八郎の子を身ごもるが…。

裏店に生きる人々の悲哀を、

丹念に情感たっぷりに描いた傑作長編時代小説。


・・・・・・・・・・・・・・・

なみ20歳。

総八郎28歳。

過酷な武家世界は若い二人に酷な扱いを強います。

それでもこの物語に暗さはありません。

宇江佐真理さんの作品には、

「先の事を今から心配しても仕方ない。

現状をしっかり受け止め、

今を大切に生きて行く事が大切。

今を大切に生きると言うことは

未来へつながる幸運への土台作り」

というメッセージが多いと思います。

この作品もあまりに悲惨な状況なのに

若干20歳の「なみ」は優しさと前向きさと

また長屋住人たちの辛抱する姿を学び、

夫を支えます。

藩を追い出された総八郎・・・

現代で言うところのリストラ。

それが再度帰封が叶い、

役職を得て帰藩するまでを描いています。

リストラされたけど、

社長が変わり、再建し、リストラされた社員を

再雇用すると言ったところでしょうか。

武士としての意地と矜持と忍耐の姿が

長屋住人たちとの触れ合いとしっくり行きます。

総八郎もなみもこの長屋で暮らしたからこそ

辛抱が出来、悲観することなく前向きになりました。

立場が違えど、それぞれの人生には

触れ合い助け合う人がいるかどうかで

幸せにも不幸にもなり得ますねぇ・・・

読後、また一つ教えられた一冊でした。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「涙堂・琴女癸酉日記」

20190426涙堂

同心だった夫・高岡靫負はなぜ斬られたのか?

蟠る(わだかまる)疑問を胸に妻の琴は、

侍を捨てて浮世絵師となった息子・賀太郎と

日本橋通油町で同居を始める。

幼なじみで医師の清順や汁粉屋の伊十と親しみ、

移ろう江戸の風物に目を向けて筆を執るうちに、

夫の死の謎が解けてきて…。


・・・・・・・・・・・・

武家物であり市井物であり、

少々サスペンスもあり・・・

主人公の「琴」は、母親として、妻として、

女として、それぞれ魅力的です。

少々のんきな奥様系に見受けられまして、

得な人柄だなぁと思いました。

宇江佐さんは、伝法な江戸っ子らしい

気性のはっきりした女性を描く事が多いのですが、

「琴」は武家の妻らしく

慎ましくも威厳があります。

市井の長屋暮らしを始めてからは、

ご近所でのいさかいや困り事に駆り出される事が度々。

意外に強気で感情むき出しの所があります。

そんな「琴」の本来持ち合わせている人柄が

住人達に受け入れられ馴染んで行きます。

なんとも微笑ましい所です(^^)

生涯、通油町の長屋暮らしを全うした「琴」。

徒然に書いた自分日記は、

「琴」が66歳で亡くなった後も

家宝として保存されたそうです。

66歳で亡くなった「琴」ですが・・・

宇江佐真理さんも66歳で亡くなりました・・・

作品は2002年刊行です。

宇江佐さんは2015年に亡くなりましたので、

亡くなる13年も前に書かれた作品なのですが、

なんとも不思議なご縁のある作品に思えました。




いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「深川恋物語」

2019042001.png

6つの市井の物語。

①下駄やおけい
②がたくり橋は渡らない
③凧、凧、揚がれ
④さびしい水音
⑤仙台堀
⑥狐拳

・・・・・・・・・・・・・・・

③の「凧、凧、揚れ」が何と言っても良かった!

ホロリホロリとなりました。

凧作り職人のおやじと近所の子供達との触れ合い。

凧作りの師匠である末松の、

子供に対する厳しさが良いですヨ(^^)

涙こぼしながら作る子供達は、

皆んな凧が大好き!

お正月に自分の作った凧を揚げるために

末吉おやじさんの怒鳴り声にも必死に耐え、

歯を食いしばって頑張ります。

ある時「おゆい」と言う体の弱い女の子が

凧作りに加わります。

普通の凧ではなく

「すいか」の凧を作りたいと

一生懸命作りますが、

自分の凧を揚げることは出来ませんでした…

何故おゆいは、

凧を揚げることができなかったのか…

凧職人の末吉は、おゆいの為に

「すいか」の凧を丹精込めて作ります。

末吉の厳しい凧作りに

根を上げず頑張った子供達は、

皆んな、のちに出世したと末吉が話します。

その時の西瓜の凧を作りたいと言っていた

「おゆいちゃん」の言葉が素晴らしいです。

「凧は見掛けよりこさえるのが面倒だから、
辛抱もいるし、工夫もいる。
いずれ空に揚げることができると思えば、
面倒なことも我慢する気になるじゃないの。
世の中と同じだよ。
偉くなるためには辛抱が肝心なんだって、
凧を造りながら覚えるんだよ、きっと…」


吉川英治文学新人賞受賞作品です。

・・・・・・・・・・・・・・・

文庫本と単行本と二冊保存版として持っています。

単行本の方は写真の装丁です。

好きな本は単行本で出版されていたら

文庫と単行本で購入します。

文庫は持ち歩き用。

単行本は書棚に

装丁が見えるように飾って置きます。

好きな本だけ保存するようにしました。

年齢的に最近の本の傾向について行けない・・・

本の装丁がマンガチックで手に取りにくい・・・

製本の雑な本も目につき、安っぽさを感じる。

出版にあたりどれだけ多くの人材が関わっているか、

作家さんの良しあしは出版関係者皆さんに

かかっていると思うほど。

電子書籍を何度か体験しましたが、

体調を崩し肩こり以上の体のだるさで

電子書籍は断念しました。

それだけに余計、紙ベースの製品に

期待と依存が大きいです。

月の自由になる予算で購入するので

新刊を簡単に買う事は出来ません。

単行本数冊購入すると、

あっと言う間に予算オーバー。

それだけに十分吟味して、

どうしてもこの本が欲しいと、

「ピン!」と来た時だけ、

購入しようと思うようになりました。

新刊の香りって素晴らしく大好きです!

作家さんが自分の本が書店に並び

手に取って購入している人を見たら

どれだけ嬉しい事か。

単行本を購入しますと

アンケートはがきが付いて来ます。

感動した点や製本の素晴らしい本の時は

感謝のアンケートを書いて送ります。

ワタクシは何も趣味がなく、

唯一読書だけが楽しみなので、

出版社・製本関係者の

努力と意気込みを感じる本作りに感謝しながら、

大事に読んで、眺めて、楽しみたいと思います(^^)



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「恋いちもんめ」

無題

年頃を迎えた水茶屋の娘・お初の前に、

前触れもなく現れた若い男。

青物屋の跡取り息子で栄蔵と名乗る青年は、

彼女の見合い相手だった。

その清廉な人柄に、戸惑いながらも

しだいに惹かれてゆくお初。

だが、ある事件を契機に

二人の関係は思わぬ方向へ進み始める…。

運命のいたずらに翻弄される純愛の行き着く先は?

・・・・・・・・・・・・・・

「水茶屋」は、

現代で言うところの「喫茶店」ですね。

家族経営の水茶屋「明石屋」は、

地域では名前が知れて大きくて評判が良いです。

水茶屋の茶くみ娘は、

器量よしでなければ勤まらないそうです。

ですのでお茶だけ飲みに来ると言うよりも

美人の茶くみ娘達とのほんの世間話などを

楽しむ所でもあったようです。

あらすじを読みますとせつな系に思えますが

意外と割り切った気の強い「お初」の物語で

ジメジメしていません。

見合い相手の「栄蔵」の事で

傷つき悲しむ事も多いですが

「お初」の芯の強さと人を思いやる優しさで

自分の幸せを切り拓いて行きます。

恋焦がれる相手の「栄蔵」の人物像が

少々物足りず、「お初」がそこまで惚れ込む程?

と思ってしまいました(笑)

宇江佐真理さんの描く女性像は、

粋が良くて気が強くて

さっぱりしているので面白いです。

この中に「未練の狐」と言う言葉が出て来ました。

未練の狐・・・

つまり・・・

「化けそこなった」

と言う意味だそうです(^^)



いつもありがとうございます

宇江佐 真里  「おちゃっぴい」

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何度読んだかなぁと言うくらい、

宇江佐真里さんの作品が好きです。

宇江佐真里さんが亡くなられて、

限られた作品しか読めなくなり寂しい限りです。

今作品も大好きな一冊。

6つの江戸の庶民のお話。

表題の「おちゃっぴい」とは、

勝気なお転婆さんと言う江戸言葉。

単なるわがまま娘ではなくて、

心根の優しい16歳の「お吉」。

手代の惣介、絵師の菊川英泉、

葛飾北斎の娘お栄に北斎まで登場します。

宇江佐真里さんの

物語への導き方がスムーズで、

回りくどさが無い。

江戸ッ子らしい伝法な物言いが、

これまたスカッとします。

笑いあり、ホロっとしたり、

切なさありの人情江戸前物語に

ひと時タイムスリップして楽しめました(^^)



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「酒田さ行ぐさげ」

無題
装具屋・花屋・呉服屋・廻船問屋など

江戸は日本橋で暮らす人々の

ホロリと切なかったり潔かったり…

読後感の良い物語6編でした。

表題作の「酒田さ行ぐさげ」は、

少し他の作品より切ない物語でした。

真面目にコツコツ働き番頭になった栄助と

何をやらせてもグズでのろまな権助。

江戸の店で番頭になった栄助。

江戸から酒田の出店に行かされた権助。

そこからの権助の意地の働きぶりは

酒田店の主人になるまでに出世。

江戸にやって来た権助の余りにもの羽振りの良さに驚き、

ひがむ気持ちを持ってしまう栄助。

そこまでなら権助の成功物語と読めたのですが、

権助の心の中は違っていたのです……

江戸から酒田に戻る船の中から栄助に向かって叫ぶ権助…

「栄助さん、おい、酒田さ行ぐさげ」

「酒田さ行ぐさげな」と叫びます。

権助にとってのただ一人の友達だと思っていた栄助への叫びでした。

権助が本当に言いたかった事とは……

栄助に見せたかった本当の思いとは……

今まで気付かなかった権助の思いを知った栄助……

もう二人が会うことはないだろう…

栄助の悔恨はその後の権助の悲しい人生を胸に刻む事になります……

余韻の悲しみがふつふつと蘇る切ない物語でした。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「口入れ屋おふく 昨日みた夢」

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痛快、江戸のお仕事小説!

亭主の勇次が忽然と姿を消し、実家の口入れ屋「きまり屋」に出戻ったおふく。
色気より食い気、働きもので気立てのよいおふくは
助っ人女中として奉公先に出向き、
揃いもそろって偏屈な雇い主たちに憤慨したり同情したり。
一筋縄ではいかない人生模様を目の当たりにするうち、
自分も前を見て歩いていこうと心を決める――。
市井人情小説の名手が渾身の筆で描ききった江戸のお仕事小説。


・・・・・・・・・・・・・・・・

やっぱり宇江佐真理さんは良いですねェ。

流れが良いし淀みない気風の良い口上などはスカっとします(^^)

解説で書かれていましたが、この物語は「江戸の派遣小説」だそうです。

なるほど上手い事言うなぁ~。

仕事斡旋業を営む「きまり屋」。

短期の頼まれ仕事をこなしながら叔父家族・父親と暮らす「おふく」。

この「おふく」がとっても魅力的。

食べる事が大好きで気風が良くて典型的な江戸っ娘。

依頼を受けた家に女中として仕事をこなすのですが、

それぞれの家庭にはそれぞれの問題が・・・。

おふくが何をするという事ではないのですが、

おふくが行く事で救われる人も出て来ます。

7編の中で特に好きな物語りは、

題名にもなっている「昨日みた夢」です。

家族からないがしろにされ、

幼い娘達からも母親ではなく女中として扱われる

武家の若奥さんの「かよ」のお話は、

おふくが助ける事によって本来の幸せを見つける事になります。

おふく自身も離縁した夫との心の澱(おり)を抱えている事で、

かよの気持ちが他人事ではなく理解でき、

「かよ」自身を大切にするよう屈辱の暮らしから救い出します。

「この家を出ましょう。若奥様がいらっしゃらなくても、
この家は回って行くのですよ。
後のことなど、気にする必要はありません」


時代が時代ですので、このように言ってくれる人は稀だったでしょう。

女が一人で生きて行く困難さを百も承知で励ますおふくには、

一生下働きの女中扱いに辛苦する「かよ」に我慢がならなかった。

義母も夫も娘達でさえ「かよ」を家族として扱わない理不尽さを

おふくが成敗する痛快さにむしろホロっとさせられました(^^)

宇江佐真理さんの心根を感じた大好きな作品です!



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「びんしけん」


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最新の傑作を揃えた魅惑の16編。
日々新たな傑作が生まれ、目が離せない歴史・時代小説界。
短編小説の滋味に触れるのに最適の、平成22年度版珠玉のアンソロジー。
持ち味を出し切って描いた作家は、
荒山徹、泡坂妻夫、岩井三四二、宇江佐真理、海老沢泰久、
乙川優三郎、北重人、北原亞以子、西條奈加、東郷隆、鳴海風、
蜂谷涼、葉室麟、山本一力、山本兼一、好村兼一。


・・・・・・・・・・・・・・・・

宇江佐真理「びんしけん」がやっぱり一番好きでした。

長屋で子供達に学問を教えている小佐衛門と、

盗賊の娘の奇妙な繋がりとほのかな恋の物語です。

盗賊の頭である父親が打ち首獄門で裁きにあったあとの娘お蝶は、

20歳でありながら読み書きが出来ず野放図な暮らしぶりから、

一人前の女性としてのたしなみが出来ませんでした。

ひょんな事からお蝶を預かる事になった小佐衛門は、

お蝶の本来の素直でまっすぐな優しい気性を感じますが、

長屋の住人に盗賊の娘と知れた事でお蝶と住人が喧嘩になり、

お蝶は小佐衛門に迷惑をかけた事で長屋を去って行き、

二度と戻って来る事はありませんでした。

小佐衛門はその時にお蝶を住人から守り通す事が出来ず、

後にお蝶が小佐衛門の嫁になりたいとの胸の内を知りますが、

自ら娘の元へ行き自分の想いを告げる事はありませんでした。

お蝶は小佐衛門の気持ちを知る事なく、その後職人の元へ嫁ぎました。

小佐衛門は・・・

「四十男の分別が邪魔をしたと言えばそれまでだが、

お蝶に対して自分の気持ちを、もっと強く訴えておけばよかったのだ。」

と、ほろ苦い思いになるという切ない物語です。

宇江佐真理さんの小説には気風の良い女性の語り口が度々登場します。

今回もお蝶と長屋のおかみさんとの喧嘩の場面で出て来ます。

「お父っつぁんは確かに悪事を働いた。
だからお裁きを受けたじゃないか。
皆んな、おれのお父っつぁんが引き廻された時、
見物したろ?
いい気味だと石でもついでにぶつけたかえ。」

「子どもは親を選べないのさ。
この先生だってそうさ。
先生は、こんな小汚い裏店住まいするようなお人じゃないんだよ。
てて親は旗本だよ。
それをびんしけんなどと子供の口調を真似て渾名で呼ぶなんざ
無礼千万の話だ。
ああ、そうとも。
おれのおっ母さんはどぶ店の女郎で、
お父っつぁんは盗賊だ。
あはっ、笑っちゃうよ全く。
だけど、それがおれのせいか?
はばかりながら、おれは生まれてからこの方、
人様の物に手をつけたことがないんだ」


宇江佐節と言うのでしょうか、

小気味よい啖呵が気持ち良い物語でした。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「雪まろげ」



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浅草は田原町で小さな古着屋を営む喜十は、
北町奉行所隠密廻り同心の上遠野のお勤めの手助けで、
東奔西走する毎日。
店先に捨てられていた赤ん坊の捨吉を養子にした喜十の前に、
捨吉のきょうだいが姿を現した。
上遠野は、その四人の子どもも引き取ってしまえと無茶を言うが…。
日々の暮らしの些細なことに、
人生のほんとうが見えてくる。
はらり涙の、心やすらぐ連作人情捕物帳六編。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

大好きな作家さんで、この物語も何度か再読。

一話目の「落ち葉踏み締める」が泣けます。

最終話の「再びの秋」が一話目の続編となり、

離れ離れになった幼い兄弟姉妹が喜十夫婦が縁となり

再会出来るようになります。

そこまでの持って行きようが上手い宇江佐さん。

さすがです。大好きな物語です。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「高砂」



ダウンロード

「離縁、離縁って簡単に言うない。
世間様はそうそう離縁なんてするものか」
「おあいにく。
あたしは一度離縁された女で、うちの人は三度も離縁しているのさ。
離縁の玄人だよ」(「夫婦茶碗」)。
夫婦喧嘩の仲裁に、日々、大忙し。
日本橋堀留町の会所の管理人、又兵衛とおいせは近所の家族の幸せを願い…。
懸命に生きる男と女の縁を描く、心に沁み入る珠玉の人情時代小説。


・・・・・・・・・・・・・

何度か読んでいる小説ですが、

何度読んでも読後感が良いです。

家族・夫婦・友達・隣人・親子・・・

それぞれが抱える問題や悩みを

町内会のお世話役となった又兵衛とおいせが

身内のように奔走します。

こんなに親身になってくれるお世話役はいないなぁ。

現代では考えられないような、人の懐に入って意見をし、

説得し、なだめすかし、体を張って解決して行きます。

「縁」を感じたら捨て置けない二人の思いやりの短編集です。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理「ウエザ・リポート 見上げた空の色」

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それでお前の一番大事なこととは何かと問われたら、

日常生活と応える。


・・・・・・・・・・・・・・・・

私が恐れるのは未完の作品が残ることではなく、

日常生活が唐突に切断されることにほかならない。

小説の執筆は日常生活の付帯情況に過ぎないのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・

夜空に限らず、人は空を見上げる機会がままあると思う。

私の場合は将来に不安を感じていた時や、

ものごとがうまく行かなかった時に

空を見上げていたような気がする。

空は人の心を映す鏡である。


・・・・・・・・・・・・・・・・

「一日を大事に生きるなんて大袈裟なことは言わないけれど、

毎朝、目覚める度に思う事は昨日と同じ今日でいい、

というささやかなものだ。

昨日と同じ今日などないとわかっていても、

そう思わずにはいられない。

大きな変化はいらない。

舞い上がるほどの幸運もいらない。

生きているだけでいいと思う。」

・・・・・・・・・・

2015.11.7に亡くなった時代小説家の宇江佐さんのエッセイ集。

乳がん闘病記も掲載されていました。66歳でした。

本当に本当に残念です。

大好きな作家さんだけに、涙涙で読み終えました。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「擬宝珠(ぎぼし)のある橋」

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惜しまれつつ亡くなった作家の、人気シリーズ最終巻

宇江佐真理氏がデビュー以来書き続け
多くのファンを獲得してきた「伊三次シリーズ」最終巻。
文庫書下ろしの「月は誰のもの」も収録


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.月夜の蟹
2.擬宝珠(ぎぼし)のある橋
3.青もみじ
4.月は誰のもの

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「擬宝珠(ぎぼし)のある橋」が良かったです。

お互い連れ子で再婚した夫婦。

連れ子同志が同じ歳で2人共、

大工の父親の仕事を手伝っている。

女房のおてつには父親がいるが、

足の怪我がきっかけで蕎麦屋の仕事をやめてしまい、

甥っこの家にやっかいになる日々。

このおてつがとても父親想い。

そんなおてつの想いを伊三次が助言し励ます。

おてつの息子二人と亭主も協力し、

父親に夜泣き蕎麦屋の屋台を作り手助けする姿が、

とても和みます。

さすがの宇江佐さん。

読みやすくて一気読みでした。

あ~・・・本当にこれが最後になるんですねぇ・・・

まだまだ先が読みたかったなぁ・・・



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「うめ婆行状記」

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北町奉行同心の霜降三太夫を卒中で亡くしたうめは、
それまでの堅苦しい武家の生活から抜け出して一人暮らしを始める。

醤油問屋「伏見屋」の長女として生まれたうめは、
“合点、承知"が口癖のきっぷのいい性格。

気ままな独身生活を楽しもうと考えていたのだが、
甥っ子の鉄平に隠し子がいることが露見、
大騒動となりうめは鉄平のためにひと肌脱ぐことを決意するが……。

昨年急逝した著者の遺作となる最後の長編時代小説。
朝日新聞夕刊に短期集中連載の後、緊急出版!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だが、おひでは、結局、この世は生きている者のために
あるのですからね、と低い声で言った。

「おひでさんの言う通りよ。
先祖の供養は、もちろん大事だけれど、
それより残された者が元気に楽しく暮らすほうが
大事だと思うの。
めそめそ泣いているばかりじゃ、しょうがないもの」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2015.11.17に亡くなった宇江佐真理さんの最後の小説。

朝日新聞に掲載されていたんですねぇ。

夫を亡くした妻のこれからの生きがいを考える物語です。

現代では多きにありえる事でも、

江戸時代、家族に縛られて暮らして来た女の一人暮らしは大変な覚悟。

「おうめ」は人柄と裕福な実家のお蔭で、

助け合いながら一人暮らしを始めますが、

実家の家族のすったもんだがらみで、

なかなか落ち着いた静かな一人暮らしとはいきません。

それもこれも「おうめ」の面倒身の良さときっぷの良さが

人に頼られひと肌脱ぐ気性に拍車をかけます。

隣りに住む年配の女房おつたさんが急に亡くなるシーンが印象的。

「人によっては、こういう例もございます。
幸い、苦しまれたような様子もありませんし、
眠るようにあの世へ逝かれたのですな。
不謹慎ではありますが、医者の立場から申し上げれば、
羨ましい限りの最期でございます」

寿庵のもの言いに、うめは、かッと頭に血が昇った。

「何言ってんだい、このすっとこどっこい。
おつたさんの本心は、
そこにいる亭主を看取ってから自分の番だと思っていたんだよ。
亭主より先に逝ったことは悔しくてたまらなかったはずだ。
それも知らずに羨ましい限りの最期だって?
言うに事欠いて、とんでもないことを喋る。
この藪!」


聞いてるこちらがスカっとする言い回しに、

いつもの宇江佐節と感動しました。

残念ながら、途中で終わっている物語ですが、

「おうめ」の行く末は、読み手それぞれが思い描けるかのようです。

人は一人で暮らす事は出来ても生きて行く事は出来ません。

一人だとか、孤独だとか実感する事も多々ありますが、

ふと周りを見ますとどうしたって人とのふれあいが不可欠。

人を頼るのではなく、一人でもきちんと暮らして行けるよう

身の丈にあった工夫をする事が大事であり、

日々を大事に楽しく心豊かに過ごす事の大切さを感じました。

また、人が死ぬ事と残された者の心情が、

乳癌で亡くなった宇江佐真理さんの人生と重なり、

物語の節々に現われているようでした。

大切な一冊です。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理「竃河岸(へっついかし)髪結い伊三次捕物余話」

ダウンロード

伊三次シリーズに、大物新キャラクター登場!

自らの手下を持つよう父に言われた龍之進。
頭に浮かんだのはかつて誘拐の下手人として追いながら、
ついに捕えられなかった男だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日乳癌で亡くなった宇江佐真理さんの最新刊にして最後の小説。

もうね・・・宇江佐ロスで・・・切ないし残念だしで・・・

一ページ一ページゆっくりと嚙みしめるように読みましたよ・・・

でも何だか読み終わるのがもったいなくて、再読再読でこれからも

読み続けたいと思います。

物語としては、伊三次の息子と幼なじみの茜の今後がどうなるか・・・

で、終わってまして・・・本当に続きを読みたかったです。

それくらい大好きな作家宇江佐真理さんでした。

ほとんどの小説を持っています。大切な財産となりました。

また読み返したいと思います。m(__)m



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「昨日のまこと、今日のうそ・髪結い伊三次捕物余話」⑬

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伊三次が直面する、息子や弟子の転機。
不破龍之進ときいとの間に長男が生まれ、
伊三次一家も祝いのムードに包まれる。
一方、絵師としての才能に疑問を感じ始めた伊与太は、
当代一の絵師、葛飾北斎のもとを訪れる。


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1.共に見る夢
 いつか旅仕度を調えたいなみと自分が
伊勢を目指して歩く姿が脳裏に浮かぶ。
吹く風は快く、鳥の囀りも耳に響く。
額に汗を浮かべながら一歩一歩進んで行くのだ。
共に見る夢ができたことを不破はしみじみ嬉しく思う。
いや、その前にいなみに言っておかなければならないことがあった。
自分より先に逝くな、と。
よしんば不幸にもいなみに先立たれた時は、
半年経ったら迎えに来いと約束させよう。


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2.指のささくれ
 「魚新の話を断った後で、
お父っつぁんは、しみじみあたいに言った。
お前がどんな男を亭主にしようが、
おれは実の倅と同じように可愛がるって。
あたい、それを聞いて心底安堵したよ。
あたいを嫁にしてくれる人なら
紙屑拾いだろうが日雇いだろうが構やしないと思ってさ」
おてんは涙を溜めた眼で言う。
おてんの髪はそそけていた。
この何日か髪を結う気にもならなかったらしい。
「おてんちゃんの亭主になる奴に
髪結いは入っていないのけぇ?」


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3.昨日のまこと、今日のうそ
 「おいらは髪結いの親方を張れる自信がありやせんよ」
「最初はそうでも、続けている内に格好がつく」
「ですが・・・」
「なに、そんな時は及ばずながら、おれも力になるぜ」
「梅床の客が流れたら、
あっちの親方も利助さんもいい顔しませんぜ」
「それも世の中よ。
梅床の親方は動けねぇ身体になっちまってるし、
利助にゃ親方を張れる器量はねぇ。
まあ、その内に親方の倅が戻って来て、
梅床を継ぐと言うかも知れねぇよ。
そうなったら、おれも安心して梅床から手を引くことができる」
「親方はそんなことまで考えていたんですか」
「いや、お前ぇがおてんちゃんと所帯を持つことが決まると、
そういう流れが見えて来たんだ。
久兵衛、お前ぇにゃ運がある。きっとうまく行く」
伊三次はきっぱりと言った。


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4.花紺青(はなこんじょう)
 国直に国華、それに北斎。
自分の周りには錚々(そうそう)たる絵師がいる。
それはまずい絵を描く絵師の傍にいるより、
はるかに自分にとってはよい環境だろう。
恵まれている。改めてそう思う。
才のある絵師の勢いに乗じて自分も先へ進んで行くのだ。
雨音はやんだようだ。
梅雨が明ければ油照りの夏が来る。
汗を拭きふき、武者絵の背景を描く自分が
易々と想像できる。
伊与太は、そんな自分がいやではなかった。


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5.空蝉(うつせみ)
 蝉が鳴いていた。
以前よりもはるかに数が増えているようで、
その鳴き声も大きく聞こえる。
そうか、山中は蝉だったのだと龍之進は合点した。
学問や剣術に励み、山中家へ養子に入り、
内与力にまで出世した男は、
揺るぎない身分を手に入れると、箍(たが)が外れた。
山中は己れの先がないことを知らずに
悟っていたのだろうか。
我を忘れて女の色香にのぼせ、
それで朽ち果てても構わなかったのか。
龍之進にはわからない。
額から血を流し、奉行に許しを乞う山中を
呆然と見つめるばかりった。
地鳴りのような蝉の鳴き声は続いていた。


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6.汝、言うことなかれ
 「あたし、うちの人のことなんて、
ひと言も喋っていないのに」
おとよは、しゃくり上げながら言った。
「へい、確かに。
お新造さんは何も喋っておりやせん。
ご新造さんは、八百金の旦那を殺したのは、
ご亭主じゃないかと疑っただけです。
なぜなら、一度人殺しをした人間は、
再び人殺しをするかも知れないと、
ご新造さんは心配していたからです」
「どうして・・・」
どうして自分の気持ちがわかったのかと、
おとよは訊きたかったらしい。
伊三次は、そんなおとよに笑顔を向けた。
「ご新造さん、坊ちゃん、お嬢ちゃんのために
踏ん張って下せぇ。
村田屋を潰さねぇで下せぇ」



いつのありがとうございます

宇江佐 真理 「名もなき日々を・髪結い伊三次捕物余話」⑫

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伊三次とお文に支えられ、
絵師修業を続ける息子の伊与太。
一方、女中奉公に出た茜の運命は、
大きく動きはじめ…
「家族」の意味を問いかける、人気シリーズ第12弾。


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1.俯かず(うつむかず)
 「あたし、梅床で仕込んで貰おうと思っていたのだけど、
伯父さんと伯母さんが反対するんじゃ駄目ね。
いっそ、芸者になろうかなって言ったら、
伯父さん、お前のようなおへちゃには無理だって。
ひどいでしょ?あたし、夢も希望もなくんったよ」
お吉はがっかりした表情で言った。
「どうしても髪結いをやりたかったら、やればいい。
牢屋に入ることも罰金も覚悟するなら、
おれが仕込んでやるぜ。
女髪結いはそれを必要とする者がいる限り、
なくならねぇ。
その内に、お上の法も変わるかもしれねぇしよ」
伊三次は思い切って言った。


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2.あの子、捜して
 「お吉はへそ曲がりだから、
そんなことを言うんだよ。
子供は誰でも実の母親に会えたら嬉しいはずだ」
お文が横から口を挟む。
「嬉しくない訳じゃないけど、
何で今まで放っといたのかと、少しは恨みに思うよ」
「だな」
伊三次は相槌を打ったが、お文は何も言わなかった。
おさえに会って、平吉が戸惑った表情をしていたことに
合点が行く思いだった。
お吉の言うことも一理ある。
「あたし、うちのおっ母さんが何があっても
子供を手放す人じゃないとわかっているから、
なおさらそう思うのかも知れない」
お吉は低い声で言った。
「お吉、お前、心底そう思っておくれかえ」
お文は感激した声で訊く。
「当たり前じゃない。あたし、口喧嘩しても、
心の奥底じゃ、おっ母さんを信じているもの」
お吉の言葉にお文は、しゅんと洟を啜った。
伊三次も同様だった。


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3.手妻師(てづまし)
 「お前ぇさんの気持ちはよくわかった。
だが、もう済んだことだ。
お前ぇさんはこの先、殊勝にお裁きを受けることだ。
恨みを抱いたまま死ぬのは切ねぇからな」
「髪結いさんには倅(せがれ)がいるのかい」
「ああ、おりやすよ。十七の倅が」
「いいな。倅が羨ましいよ。
おれもあんたみてぇなてて親がほしかった」
鶴之助の声にため息が交った。
伊三次も胸にぐっと来ていたが、
うまい言葉が出なかった。


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4.名もなき日々を
 星がやけに光って見える。
この広い江戸でつまらない悩みを抱えているのは
自分だけのような気がした。
ほおっと吐息をついた時、草叢(くさむら)から虫の声が聞こえた。
もう秋だ。
来年の今頃、自分はどのような気持ちで
過ごしているだろうかと、ふと思う。
皆目、見当もつかない。
しかし、来年の今になるためには、
同じような日々を過ごさなければならない。
その一日、一日を積み重ねるのが少し苦痛に思える。


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お栄が見せてくれたのは、破れ鍋に真紅の大きな牡丹を植え、
それをうっとり眺めている百姓らしき男の絵と、
杣人(そまびと)が地面に立てた大斧(おおよき)に凭れ(もたれ)、
空を渡る雁の群れを見上げている絵だった。
伊与太は思わず涙ぐみそうになった。
およそ風流とは縁のない暮らしをしている者でも、
美しい花を見れば美しいと感じる心がある。


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「毎日、毎日、伯母さんの髪を結っている内に
手が覚えるのさ。
だけど、うまく結うだけじゃ足りないんだよ。
その髪型がお客に気に入られなきゃ駄目さ。
うまい髪結いだと、一度結うと、
十日も形が崩れないんだよ」
「あたし、十日は無理。せいぜい三日ね」
「お客は十日もつ髪結いと三日で駄目になる髪結いと
どちらを選ぶ?」
「そりゃあ十日に決まっているよ」
「十日もつ髪結いにおなり」
お文はきっぱりと言うと、歩みを進めた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・
不破は赤ん坊を見つめ、
しばらく黙っていた。
心なしか眼が潤んでいる。
「旦那、何かお言葉を掛けて下さいまし」
お文が勧めると、不破は決心を固めたように、
ひとつ大きく息を吐いた。
「ようこそ不破家へ。
皆々、お待ち申しておりました。
これからは恙なく(つつがなく)成長されますことを、
不破、心よりお願い申し上げる次第に存じまする」
芝居掛かった台詞は、普段なら苦笑を誘うはずなのに、
誰も笑う者はいなかった。
本当に誰もが望んでいた子供の誕生だった。




いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「月は誰のもの・髪結い伊三次捕物余話」

ダウンロード (1)
超人気シリーズが、書き下ろし長編小説に!
髪結いの伊三次と芸者のお文。
仲のよい夫婦をめぐる騒動を、
江戸の夜空にかかる月が見守っている。


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「いきんで、いきんで」
お浜の声が勇ましい。
お文は唇を噛み締めてがんばっている様子だ。
「さあ、もう一度。そうそう、上手、上手」
伊三次は座っていられず、
襖の前でじっと耳をそばだてた。
「お文、がんばれ」
そんな声が自然に出る。
「やかましい!今が正念場だ。
余計な半畳を入れるんじゃないよ」
お浜が憎らしい言葉を返して来た。
「余計な半畳って・・・」


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月は誰のもの?
伊与太が要左衛門に問い掛けた言葉が思い出された。
月は誰のものでもない。皆のものでもない。
月は月だ。
ただ空にあって、青白い光を地上に投げ掛けるだけだ。
また、人の心持ちによって、
月は喜びの象徴ともなれば
悲しみの象徴ともなる。
なまじ満ち欠けをする月だからこそ、
人々の気持ちが投影されるのだろう。
いつも月を美しいと感じていられるように、
ありがたいと思っていられるように。
お文はそっと掌を合わせて祈る。
要左衛門はもしかして、
お文にとっては月のような存在だったのかも知れない。
そんな気がしてならなかった。


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「何かあった時って何ですか」
「そのう、行かず後家と深間になるとかよ。
男はなあ、女に言い寄られると悪い気持ちが
しねぇもんだな。
つい、ふらふらっと傾いちまう。
世間にはよくあることだ。
だが、お前ぇの女房は並の女じゃねぇ。
辰巳仕込みの芸者だ。
女房が孕んでいる時によその女に
懸想したとなったら決して許さねぇ。
あっさりお前ぇをお払い箱にしてしまうだろう。
女房はその気になりゃ二人の餓鬼ぐらい立派に
育ててやると啖呵を切るぜ」
松助は脅すように言った。
伊三次はようやく周りに心配させていると感じた。


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「その通りだよ。
火事に遭った時は、これで何も彼もお仕舞いだと、
心底がっかりしたものだが、
実のてて親に会えたし、周りの人にも
口では言えないほど情けを受けたよ。
時々、あの火事は神さんがわっちを試したものかとも
考えるんだよ」
「試した?」
「ああ。どうだ、お文、これでお前はどん底だ、
様ぁ見やがれ。手前ぇの不幸に泣き、
喚くがいいってね。
だが、わっちは泣いてる暇もなかった。
目の前に片づけなければならないことが
山のようにあったからね。
今に見ていろって意地もあった。
すると神さんは感心して、
その後にご褒美を下さったのさ。
わっちはそう思っているよ」



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「明日のことは知らず・髪結い伊三次捕物余話」⑪

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昔はよかったと言ったところで、
時間は前に進んでいくばかり。
過去を振り返っても仕方がない。
本作のタイトル通り、明日のことはわからないのである…。
大人気シリーズが誕生して二十年。
髪結いの伊三次と、その恋女房で深川芸者のお文。
仲の良い夫婦をめぐる人びとの交情が、
時空をこえて胸を震わせてくれます。


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1.あやめ供養 
 あやめを丹精することが生きがいの老婆が、
庭で頭を打って亡くなってしまう。
彼女の部屋から高価な持ち物が消えていることを
不審に思った息子は、伊三次に調査を依頼する。
暗い過去を持つ、花屋の直次郎が疑われるが……。

 「そいじゃ、お言葉に甘えて、
たったひとつだけほしい物がありやす」
「そ、そうか。それは何んですかな」
桂庵は、つっと膝を進めた。
「九兵衛に、わたしの弟子の九兵衛に
廻りの髪結いをする時の台箱を誂えて(あつらえて)おくんなさい。
一生持ってもガタが来ない頑丈で上等な台箱を」
「伊佐次さん・・・」
そう言ったきり、桂庵は言葉に窮した。
図に乗った願いだったろうかと伊佐次は慌てた。
だが、そうではなかった。
「弟子のために台箱がほしいのですか。
何んとも欲のない。他には何か」
「いえ、それだけで充分です」

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2.赤い花 
 伊三次の弟子、九兵衛に縁談が持ち上がる。
相手は九兵衛の父親が働く魚屋「魚佐」の娘だが、
これがかなり癖のあるお嬢さんだった。

 するとおてんは、
本当に男に生まれたかったんだと胸の内を明かした。
伝五郎という若者はとぼけた表情をして、
喋ることも冗談交じりの男だった。
その伝五郎が、幾ら男に生まれたかったと言ったところで
無理な話ですぜ、お嬢さんはおなごとして
十八年も生きて来たんですからね、
今さら股の間から金玉が生えても困るでしょうと言った。
その言葉に男達は爆笑したが、
おてんは反対に咽び(むせび)泣いたという。

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3.赤のまんまに魚(とと)そえて 
 浮気性で有名な和菓子屋の若旦那は、
何度も女房を替えているが、
別れた女房が次々と行方知れずになるとの噂があった。
このことを聞いた伊三次は同心の不破友之進に相談する。
 
 「しかし、同じようなことが二度、三度も続いては、
黙っている訳にも行きやせんぜ。
夫婦喧嘩をして、
こんな女房はぶち殺してやりたいと思っても、
際にそんなことをする奴はおりやせん。
人が人をあやめちゃならねェと、
ぎりぎりのところで踏み留まるからですよ。
だが、世の中には踏み留まれず、
一線を越える者がおりやす。
一線を越えてしまえば、
次もその次もさして頓着しなくなるんでしょう。
もはやそいつは単なる下手人でなく、
鬼になっているんですよ。」


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4.明日のことは知らず 
 伊三次の息子、伊与太が心惹かれ、
絵に描いていた女性が物干し台から落ちて亡くなった。
葬式の直後、彼女の夫は浮気相手と遊び歩いていた。
一方、不破家の茜は奉公先の松前藩で、
若様のお世話をすることになっていた。
 
(伊与太、優しい伊与太。
お前は元気で修業に励んでいることだろうね。
わたくしは大人の思惑に神経をすり減らしているのだよ。
自分が望んだ道とはいえ、わたくしは辛くてたまらない。
伊与太、子供の頃はよかったね。
何も悩みなどなく、思う通りに生きていたのだから。
わたくしが死んだら、
伊与太、涙のひとつもこぼしてくれるだろうか。
お前と夫婦になるなど、
よくも甘い夢が見られたものだ。
伊与太、愚かなわたくしを笑っておくれ)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5.やぶ柑子(こうじ) 
  仕えていた藩が改易になった男。
知り合いの伝手を辿って再仕官しようとするが、
なかなか上手くはいかず、次第に困窮していく。 
 
「いいえ。
気に入らぬ芸者の顔を見ても、
おもしろくも何ともありませんから。
ですが、久慈様。
わっちもちょいと言わせていただきますよ。
料理茶屋に芸者を呼んで、芸者風情が口を挟むなとは、
ずい分なおっしゃりようでござんすね。
聞けば、昔、お世話になったお仕事仲間の息子が
浪人に甘んじているというのに、
面倒を見るどころか、近づくな、痛い目に遭わすぞとは、
血も涙もないやり方じゃござんせんか。
ご自分が士官の口にありつけば、
他の者はどうなっても構やしないということですか。
細川様もとんだ人間を抱えたものだ。
有田屋さん、袖の下はいかほど久慈様に差し上げたのですか。
わっちは口が軽いから、うっかり喋ってしまいそうですよ。
細川様のお留守居役の安藤様はわっちのご贔屓のお客様なんですよ。
それじゃ、ごめん下さいまし」
お文はいっきにまくし立てると廊下に出た。

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6.ヘイサラバサラ
 不老不死の薬」を研究していた医者が亡くなった。
彼の家には謎の物体が残されていたが、
ひょっとしたらそれが高価なものかもしれない
と思った家主は、伊三次に調べてもらうことに。

 しかし、と伊三次は考える。
不老不死は、はたして本当に倖せなのことなのだろうかと。
人は生まれて寿命が尽きた時にぽきりと死ぬ。
それが悪いこととは思えなかった。
自分は家族のために一生懸命働き、
伊与太とお吉を一人前にし、孫の顔を見て死にたい。
お父っつぁん、逝かないで。
じいちゃん、死なないでと
惜しまれながら息を引き取るのは何んて倖せな最期だろうか。
この世には人が想像もできない不思議なものがある。
それを知ることも生きていればこそだ。
するとヘイサラバサラも沈香も生きている証に思えて来る。
それらは決して人のためになる目的でこの世に現れた訳でもないのに。
人は自然の様々な恩恵を受けて生きている。
いや、生かされているのだと伊佐次は思う。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「心に吹く風・髪結い伊三次捕物余話」⑩

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一人息子の伊与太が、
修業していた絵師の家から逃げ帰ってきた。
しかし顔には大きな青痣がある。
伊三次とお文が仔細を訊ねても、
伊与太はだんまりを決め込むばかり。
やがて奉行所で人相書きの仕事を始めるが…。
親の心を知ってか知らずか、
移ろう季節とともに揺り動く、若者の心。
人生の転機は、いつもふいに訪れるもの。


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.気をつけてお帰り
 「ほう、辛さを乗り越える術とは?」
龍之進はきいの顔を覗き込んで訊く。
きいは恥ずかしそうに二、三度眼をしばたたいた。
龍之進から視線を逸らし、
「走ることですよ。
どうしようもなくなった時は
柳原の土手を息が切れるまで走るんです。
するとね、不思議に元気になるんです
と、
きいは低く言った。



2.雁(かり)が渡る
 「手前ぇの伜だから肩を持つ訳じゃござんせんが、
兄弟子さんが伊与太に任せずに
先様へ絵を持って行きなすったら、
こんなことにはならなかったんじゃ
ねぇですかい」
伊三次は顔を上げて豊光に言った。
おっしゃる通りです、と豊光は応えた。



3.あだ心
 「上田秋成という戯作者が言ったことだが、
世の中を実直に生きることは『まめ心」で、
音曲や絵、おなごにうつつを抜かすことは
『あだ心』であるそうだ。
秋成は、世の中はまめ心で生きるのが本意だが、
己れはあだ心に生涯を委ね(ゆだね)ると決心したそうだ。
伊与太、お前はまだ若い。若過ぎる。
ここであだ心に触れるのも修行になるやも知れぬ」



4.かそけき月明かり
 さとが出刃包丁を持ち、自分の首に切っ先を向けていた。
「おっちゃん、おいら、ここで死ぬ。
銚子に帰ぇるぐらいなら死んだほうがましだ」
「やめろ、危ねぇから、やめろ」
伊三次は両手で空を押さえる仕種をして宥める。
「脅しじゃねぇよ。ほら、見ろよ」
さとは、自分の腕に出刃を当て、そっと突いた。
赤い点がつき、すぐさま糸のような血が伝う。
やめて、やめて。おふさがまた悲鳴を上げる。
「死ぬなんざ怖くねぇよ。
おいら、今まで何度も死ぬより辛い目に遭って
来たからな。いっそ死んだほうが楽だよ」
さとは大粒の涙をこぼしながら叫ぶ。
「そんなことはねぇ。生きてりゃいいこともある。
銚子にゃ帰ぇらねくていいぜ。
ずっとここにいても構わねぇ」



5.凍て蝶
 「さとちゃんを産んだ女が、
いかにも手前ぇが佐登里の母親です、
と名乗りを挙げ、相手はこれこれこういう男で、
育てることができなくて寺に捨てました、
とはっきり喋っているなら別さ。
母親もはっきりしない、まして、てて親もわからない。
銚子の村で噂になっていたことを
鵜呑みにしているだけじゃないか。
そうじゃないかも知れないと、なぜお前さんは考えない。
それがわっちにはわからないよ」
お文の言うことに伊三次はぐうの音も出なかった。
「大人の思惑で妙な目で見ることこそ、
さとちゃんが気の毒だ。
え?そうじゃないのかえ」



6.心に吹く風
 「お嬢さん、別に宝物があるからいいんだって」
「別の宝物?」
お文は怪訝そうにお吉を見た。
女中のおふさも帰って、茶の間は親子三人だけだ。
そこに伊与太がいないので、
なおさら感じられる。
お吉の他愛ないお喋りが、
その時の伊三次とお文にとっては慰めだ。
「お嬢さんは兄さんの描いた絵を持って行ったのよ。
不破様のお庭の絵と、
お嬢さんの姿を描いたものよ。
とても気に入って、一生の宝物にするんだって」



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「今日を刻む時計・髪結い伊三次捕物余話」⑨

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江戸の大火で住み慣れた家を失ってから十年。
伊三次とお文は新たに女の子を授かっていた。
ささやかな幸せを
かみしめながら暮らすふたりの気がかりは、
絵師の修業のために家を離れた息子の伊与太と、
二十七にもなって独り身のままでいる不破龍之進の行く末。
龍之進は勤めにも身が入らず、
料理茶屋に入り浸っているという…。


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.今日を刻む時計
 「不破の旦那は男でござんすよ。
奥様をずっとお慕いしていて、
奥様が吉原にいると聞くと矢も楯もたまらず
駈けつけたそうだ。
若旦那のお祖父様も偉かった。
何も言わず奥様の身請け料を工面なすったんだ。
奥様は旦那とお舅お姑さんの恩に報いるため、
一生懸命、同心の妻になろうと努められた。
これまで、若旦那は奥様に僅かでも吉原の匂いを
嗅いだことがありましたか?
奥様は武家の娘の気概を失っていなかったんだ。
わっちはとても奥様の真似なんてできない。
それなのに、若旦那は奥様のせいで縁談を断られたと
恨んでいるご様子。
若旦那がこれほど了簡の狭い男だとは思いませんでしたよ」



2.秋雨の余韻
 「似たようなお話があるのですよ。
縁談を断られた娘がおりまして、
父親はそれを不服として相手方へ談判に行き、
刃傷沙汰を起こしてしまいました。
その挙句、仰せつかっていた剣術道場指南役も下ろされ、
父親は抗議の意味で自害してしまったのです。
その娘も父親の後を追って自害致しました。
一家はそれにより離散する羽目となりました。」
「どなたのことをおっしゃっているのですか」
龍之進には心当たりがなかった。
「わたくしの実家のことです。
自害したのはわたくしの姉です」



3.過去という名のみぞれ雪
 「龍之進様は、ゆうが一番苦手な殿方に思えるの。
追い掛けたところで振り向いてもくれない人よ。
思いは膨らむ一方で、身も心もくたくたになりそう。
ゆうは、そういうのに堪えられないの」


・・・・・・・・・

みぞれ雪は人々の様々な思いを抱えて
降っているような気がした。
その思いとは、不破には皆、
過去を悔やむものばかりに感じられてならなかった。



4.春に候
 「手前ぇで言ってりゃ、世話ないよ。
伊与太、他人様の中で修業しているんだから、
意地を強く持っていなけりゃ踏むつけにされるよ。
それだけは言っておくよ。
困ったことが起きても、わっちとお父っつぁんは
すぐにお前の所へ駈けつけられないんだからね。
何でも一人でけりをつけるくせをつけなきゃ」



5.てけてけ
 「あたし、かけっこが得意だったんです。
大伝馬町にいた頃、近所の子供達と一緒に、
よく競争しました。
男の子と競争する時、女の子達は、
たけ、がんばれ、たけ、負けるなって応援するんです。
小平太は小さかったから、
その声がてけてけに聞こえたのでしょうね。
それからずっとあたしのことをてけてけと呼んで、
姉ちゃんとは呼んでくれなかったんです。」



6.我らが胸の鼓動
 「拙者、徳江さんとひと廻りも年が離れておりますゆえ、
当初、徳江さんを妻にすることは考えておりませんでした。
しかし、今は真剣にそう望んでおります。
お嫌でなければ拙者の申し出を受けていただきたい。
仲人を介するのどうのは、
拙者の性に合いませぬ。
これから拙者の家に参りましょう。
母上がうまくとり計らって下さいます。
いかがですかな。」
龍之進は照れも手伝って慇懃な口調になる。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「我、言挙げす・髪結い伊三次捕物余話」⑧

ダウンロード (4)
晴れて番方若同心となった不破龍之進は、
伊三次や朋輩達とともに江戸の町を奔走する。
市中を騒がす奇矯な侍集団、
不正を噂される隠密同心、
失踪した大名家の姫君等々、
自らの正義に殉じた人々の残像が、
ひとつまたひとつと、龍之進の胸に刻まれてゆく。
一方、お文はお座敷帰りに奇妙な辻占いと出会うが…。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.粉雪
 「なぜですか。押し込みを働いたんですから、
こうなったのは自業自得ですよ」
「それはそうですが、もの心ついたころから、
薩摩へこ組として修業させられてきたのです。
よいか悪いかの判断もできず、
ただひたすら武士道を全うすることだけを教えられた。
その意味では、わたしも同じですよ。
祖父も同心、父親も同心の家に育ち、
ついには自分も同心となった。
同心は下手人を捕らえるのが仕事です。
そこに何の疑いも持たなかった。
仮に、仮にですよ。
ぽーんとよその土地に放り出され、
その土地の人々の価値観が同心を悪と見なしたとしたら
どうでしょう」


2.委細かまわず
 「旦那はお務めを退いたら、
お伊勢参りに連れてってくれると約束したんですよ。
それも反故になっちまった。
まあね、約束なんて守ってくれたためしはないから、
あたしも当てにはしていなかったけどね」
おひろは独り言のように呟く。


3.明烏(あけがらす)
 惚れるのも惚れられるのも、昔のことだった。
伊三次は、もはやお文の間夫(まぶ)ではなく、
正真正銘の亭主である。
それがいやだというのではなかったが、
お文はつかの間、自分の来し方、行く末を思う。
果たしてこれでよかったのだろうかと。
稼ぎの少ない亭主の不足を補うために
お座敷づとめを続けているお文である。
本当は家の中のことだけして呑気に暮したい。
息子の伊与太ともう少し遊んでやりたかった。


4.黒い振袖
 「姫、駕籠で参りましょうか」
龍之進がそう言うと、姫は首を振った。
「わらわは、そなた達と一緒に歩きたい」
姫の言葉に譲之進は嬉しさのあまり
「うふっ」と、野太い声で笑った。



5.雨後の月
 伊与太は縁側に腰を下ろし、
時々、足をばたばたさせながら伊三次を待っていた。
伊三次の姿に気づくと「ちゃん!」と甲高い声を上げた。
「待たせたな。勘弁してくんな。
これでも急いでやって来たんだぜ。
あれ、茜お嬢さんは?」
傍に茜の姿はなかった。
「お嬢はねんね」
伊与太はつまらなそうに応えた。
「そうか。お前ぇは昼寝をしなかったのか」
「うん。おうちじゃないから」
そう言った伊与太の眼は潤んでいた。
よほど寂しかったのだろうと思うと、
伊三次は胸が詰まった。
腕を伸ばすと伊与太はぶつかるようにしがみついてきた。



6.我、言挙げす(ことあげす)
 「古事記の中巻に倭建命が伊服岐能山(いぶきのやま)へ
山の神の退治に出かける話がある。
その時、倭建命は白い猪と出くわすのだ。
倭建命は、その猪を神の使者と思い、
帰り道でおまえを殺してやる、と猪に言う。
それがわが国最古の言挙げの用例とされておる」
松之丞は、おもむろに言挙げの謂れ(いわれ)を語った。
「そうしますと、自分の意志をはっきりと言うことが
言挙げになるのですね」



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宇江佐 真理 「雨を見たか・髪結い伊三次捕物余話」⑦

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北町奉行所町方同心見習い組には六人の若者がいる。
伊三次の仕える不破友之進の嫡男、龍之進を始め、
緑川鉈五郎、春日多聞、西尾左内、
古川喜六、橋口譲之進という面々。
俗事に追われ戸惑いながらも、
江戸を騒がす「本所無頼派」の探索に余念がない。
一方、伊三次とお文の関心事は、
少々気弱なひとり息子の成長だが。


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.薄氷(うすらひ)
 「よし、かしこいぞ。
さ、お前ぇもおさらいだ。こいつは誰だ」
九兵衛は自分を指差して伊与太に訊く。
九兵衛は最近、伊与太へ言葉を教え込むのに熱心だ。
それから、おつむてんてんとか、
にぎにぎとかの仕種も教えている。
「おえ・・・」
伊与太は九兵衛とうまく言えず、そうなってしまう。
「おえじゃねぇよ。
おえは、ものを吐きそうになった時、思わず出る声だ。
おいらは九兵衛だ。ほら、言ってみな」
「おえ」
「全く・・・そいじゃ、こいつは誰よ」
九兵衛は伊与太の鼻の頭をちょんと突いた。
「おた」
「伊与太」
「おた」
「駄目だなあ。おっ母さんの名前ぇは?」
「ぶん」
伊与太はその時だけ張り切った声を上げた。



2.惜春鳥(せきしゅんちょう)
 「うちの人、
お正月の宴で桃太郎さんに会ったのが嬉しくて、
何度も言っていたんですよ。
あたしもお顔が見れてよかったですよ」
酒の酔いで、ぽっと赤くなったおふじがきれいな
歯並びを見せて笑った。
「わっちはてっきり、
旦那に嫌われたものとがっかりしていたんですよ」
「桃太郎さん、うちの人は気に入った人に
邪険にする癖があるんですよ」
おふじは訳知り顔で言う。
「まあ、そうですか。
それなら、さしずめ一番邪険にされたのは
お内儀さんですね」
お文が軽口を叩くと、
おふじは腰を折って笑いこけた。
よい晩になったとお文は思った。


3.おれの話を聞け
 「そうですか。
男と女は夫婦になるまで、
色々、大変なんですね」
龍之進はた吐息混じりに言う。
「さいです。てぇへんです。
簡単にくっついた者は簡単に別れやす。
本当にこの男でいいのか、
この女でいいのかと悩みながら一緒になるんでさぁ。
しかし、ものの弾みで一緒になった者でも、
存外にうまく行く場合もありやすから、
一概には言えやせんが。
まあ、縁のもんでしょう」

 
4..のうぜんかずらの花咲けば
「のうぜんかずらとは、どんな意味なのですか」
龍之進は花を見つめたままで訊いた。
「のうは覆う(おおう)、
凌ぐ(しのぐ)という意味があります。
ぜんは大空で、かずらはつるのことです。
高くつるを伸ばし、
空いっぱいに咲き誇る花ということでしょうか」
それは、まさしくお梅にぴったりの花に思えた。
のうぜんかずらはまた、
猛暑を凌ぎ、
秋まで咲き続けるたくましさもあるという。



5..本日の生き方
 「骨接ぎ医見習い直弥、
辻斬りに加担するも、
裏切りによって命を絶たれ候。
その仕形、不届き千万と雖も(いえども)、
直弥、未だ若輩者にて御座候。
早過ぎる死は小生も気の毒に感じおり候。
本日の小生の生き方、上々にあらず。
下々にあらず。
さりとて平凡にもあらず。
世の無常を強く感じるのみにて御座候」



6.雨を見たか
 「こっちは雨を見たかい」
「いんにゃ、雨は見ねぇ。これからだろうよ」
船頭はそう言って水棹を持ち直した。
三人はそのやり取りを聞くでもなく聞いた。
「雨を見たかとは、おもしろい言い方ですね」
龍之進はふっと笑って言う。
「漁師は空模様を読みますからね。
言い回しもわたし等とはひと味違っていますよ」
「雨を見ましたよ。心の中で・・・」
龍之進は独り言のように言う。




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宇江佐 真理 「君を乗せる船・髪結い伊三次捕物余話」⑥

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伊三次の上司である定廻り同心の不破友之進の嫡男、
龍之介もついに元服の年となった。
同心見習い・不破龍之進として出仕し、
朋輩たちと「八丁堀純情派」を結成、
世を騒がせる「本所無頼派」の一掃に乗り出した。
その最中に訪れた龍之進の
淡い初恋の顛末を描いた表題作他
全六篇を収録したシリーズ第六弾。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.小春日和
 「おいら、髪結いになれますかね」
「それはお前ぇ次第よ」
「おいら、親方が好きだから、
きっと辛抱できると思います。
親方は無闇に怒鳴らないからいい」
「怒鳴らないからか・・・」
伊三次はそう言いながら
徒弟時代のことをふっと思い出していた。
伊三次の親方は姉のお園の連れ合いで
義理の兄に当たる男だった。
毎日のように怒鳴られ、殴られていた。
我ながらよく辛抱したものだと思う。
それと同じやり方を九兵衛にしたくなかった。



2.八丁堀純情派
 「連中は商家を襲うとか、
何か事件を起こしておりますか」
監物の小言が鉈五郎(なたごろう)に落ちる前に
龍之進は慌てて口を挟んだ。
「いや、今のところ、そのようなことはない」
「それでは連中の意図は何んでしょうか」
「わからん。だが、市中の人々は連中を
本所無頼派(ほんじょぶらいは)と呼んでおる」
「本所無頼派・・・」
龍之進と鉈五郎の声が重なった。
「本所で連中を見掛けることが多いからだ。
あるいは住まいが本所近辺にあるやもしれぬ。
向こうが無頼派なら、おぬし等は何派かの。
その初々しい顔を見れば、
さしずめ純情派とも言える。
八丁堀純情派だの」
監物は気の利いたことを言ったつもりなのだろうが、
龍之進は白けた。
本所無頼派とわざわざ並べる必要は一つもないと、
その時は思っていた。



3.おんころころ
 おんころころ せんだり まとうぎ そわか

この世には理屈のつけられない不思議がある。
それを信じる者と信じない者がいる。
伊三次はどちらかと言えば、信じない方の部類だ。
しかし、あの時、伊与太は確かに神仏に守られたと思う。
紫の小袖の娘が、あの寺に伊三次を導かなかったら、
伊与太はもしかして助からなかったかも知れない。
心底、ありがたいと思う。
伊三次は宣言通り、余左衛門親子を捕えた。
片岡と他の役人の助っ人があったものの、
取り敢えず、約束を果たした。
自分のやるべきことを全うする。
それしか娘に恩返しする術はなかった。



4.その道、行き止まり
 「九兵衛、おれは立派な同心になれると思うか」
龍之進は試すように九兵衛に訊いた。
「なれますよ。意地の強さは半端じゃねぇですから」
龍之進に嬉しさが込み上げた。
見習いとなって初めて聞く褒め言葉でもあった。
「九兵衛、おれが本勤になったら、
お前を小者に抱えてやる。
頭も毎朝やらせる。だからしっかり修行しろ」
龍之進は九兵衛にそう言った。
九兵衛は顔をくしゃくしゃにして喜んだ。



5.君を乗せる船
 眼を閉じた作蔵は眠っているだけのようにも思えた。
あぐりはおしかと手を取り合って泣いていた。
「こんなのはいやだよ、作蔵。
一緒に八丁堀へ帰るんだ。
さっきまで一緒だったじゃないか。
帰りも一緒だ。
提灯を照れしてくれなきゃ、
足許が危ないじゃないか。作蔵!」
「父っつぁんは自分の娘を吉原に取られている。
それをずっと悔いていた。
だから、身体を張ってあぐりお嬢さんを庇ったんだ。
父っつぁん、よかったな。
娘の仇ぁ、討てたよな」
伊三次も咽びながら言う。
心なしか作蔵の顔は微笑んでいるようにも見えた。



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宇江佐 真理 「黒く塗れ・髪結い伊三次捕物余話」⑤

ダウンロード (2)

お文は身重を隠し、年末年始はかきいれ刻とお座敷を続けていた。
所帯を持って裏店から一軒家へ移った伊三次だが、
懐に余裕のないせいか、ふと侘しさを感じ、
回向院の富突きに賭けてみる。
お文の子は逆子とわかり心配事が増えた。
伊三次を巡るわけありの人々の幸せを願わずにいられない、
人気シリーズ第五弾。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.蓮華往生
 「旦那は、最後は奥様とだけ眼を合わせたんだ。
それを見た姐さんが胸にぐっとこたえたんじゃないだろうか」
「わからねぇ。
旦那は奥様の後ろで喜久壽の方を見たんじゃねぇのか?」
「そんな余裕はあったかえ?
本当なら旦那は奥様にも素性を知られたくなかったはずだ。
だが、覚悟の上で蓮華に上がったのなら、
最後の最後に言い残す言葉があるのは姐さんじゃなく
奥様の方だ。
まして旦那は奥様の寺通いをやめさせるために、
あの寺を張っていたんだろ?
旦那は姐さんよりも奥様を選んだんだ」



2.畏れ入り谷の
「入谷の鬼子母神さんにねえ、行けるかえ?」
「・・・・・」
返事をしないのは大義だということだ。
無理もない。入谷は浅草寺から田圃を抜けた寺町の一郭にある。
すぐ傍は上野のお山である。
「何んでまた、そんな所に・・・」
しばらくしてから伊三次が口を開いた。
「この前、お座敷を掛けてくれたお客様に呼び出されたのさ。
だけどわっちは無理だからお前さんに代わりに行って貰いたいのさ」
「代わりに行ってどうするのよ。
おれは桃太郎の亭主でござんす、
女房は来られません。
お生憎でござんすね、と言うのか」
「なにを言うことやら。
一丁前に焼き餅を焼いているつもりかえ」
お文は悪戯っぽい表情で笑った。



3.夢おぼろ
 「旦那、建て主は富突きで大金を手にしたそうですぜ。
元の商売もうっちゃらかして浮かれていたんで、
こんなざまになっちまったんですよ」
伊三次は八兵衛の後ろからついて行きながら口を挟んだ。
「一の富だってねえ。
八十両もの金を持つ人間は、
この江戸でもそうそういませんよ。
しかし、どれほど大金でも遣うとなったら早いものです」
八兵衛はしみじみと言った。
「真面目に働くことが肝腎ですよね」
伊三次が子供のような口調で言うと、
儀右衛門はくすくす笑いながら、
「伊三次さんなら大丈夫ですよ」と言った。
「お金は大切にする人の所にしか集まりません。
そういうもんです」
八兵衛はきっぱりと言った。



4.月に霞はどこでごんす
 糊の瓶(かめ)から出て来たような赤ん坊は
お世辞にも可愛いとは言えなかった。
伊三次は情けない顔で笑った。
「さあ、ご亭主。ご苦労様でございます。
もはやお引き取り下さい」
いつまでもそこにいる伊三次に黄湖は苦笑混じりに命じた。
黄湖は産湯を使って小ざっぱりした赤ん坊を確認すると、
「まれに見る難産でした。
しかし、無事に生まれたということは、
よほど運の強いお子さんなのでしょう。
大事に育てて差し上げて下さい。
施術料は後ほどご請求します」と、
事務的に言って帰って行った。
伊三次は通りの外まで黄湖を見送った。
夜は白々と明け、朝靄が左内町の通りに立ち込めていた。



5.黒く塗れ
 明日のことはわからない。
だが、明日の夜はすべてが終わっている。
最悪の場合は長庵の尻尾が摑めず、
おつなが罪に問われることだった。
偽人参の廉(かど)で捕らえたとしても、
沙汰はさほど重いものにはならないだろう。
晴れて娑婆に戻った長庵は、また次なる獲物を探す。
同心の小者として、伊三次は初めて下手人に強い憎しみを抱いた。
夜は更けていた。
伊三次の影が襖に黒く映っている。
その影を見つめて伊三次は低く呟いた。
黒く塗れ、と。



6.慈雨
 伊三次は直次郎の背中をくいっと押して、踵(きびす)を返した。
直次郎はしばらくその場に佇んで、伊三次を見送った。
伊三次は曲がり角で振り向いた。振り向かずにはいられなかった。
直次郎がおずおずと戸に近づき、中へ声を掛けた様子である。
ほどなく、戸が開き、お佐和の白い顔が覗いた。
お佐和は泣き笑いのような表情をしている。
かぶりを振った。もう一度、かぶりを振った。
それからこくりと肯いた。
花を差し出す直次郎。
お佐和が嬉しそうにそれを受け取ると、
じっと直次郎を見つめた。
それから堪え切れずに直次郎に縋りついた。
直次郎はお佐和の勢いに少しよろけ、足を踏んばった。
(あちゃあ、やってくれる。まだ人目があるのによう)
雨が降る。まっすぐな雨が降る。
だが、この雨は暖かい雨だ。
すべてを洗い流し、代わりに何かを潤す恵みの雨だ。
そう伊三次は思う。
抱き合う二人の姿は、まるで紗を掛けた一幅の絵だった。




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宇江佐 真理 「さんだらぼっち・髪結い伊三次捕物余話」④

ダウンロード (1)

芸者をやめたお文は、伊三次の長屋で念願の女房暮らしを始めるが、
どこか気持ちが心許ない。
そんな時、顔見知りの子供が犠牲になるむごい事件が起きて―。
掏摸の直次郎は足を洗い、伊三次には弟子が出来る。
そしてお文の中にも新しい命が。
江戸の季節とともに人の生活も遷り変わる、
人気捕物帖シリーズ第四弾。


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.鬼の通る道
 「坊ちゃんが口を噤(つぐ)んでいたのは、
あぐりお嬢さんが悲しむと思ったからですよ」
「知るかッ!」
「下手人をお縄にすれば、旦那はそれでいいんですかい」
伊三次は試すように不破に訊く。
「何?」
「あの下手人には娘がいた。
その娘がその先、どうなるかまで坊ちゃんは考えていたんですよ。
こいつは旦那より坊ちゃんの方がよほど人間のできがいい。
下手人の家族を世間様から守ってやるのも町方役人の
務めじゃねぇですか、違いますかい」



2.爪紅(つまべに)
 一日仕事して、お文と差し向かいで飯を喰い、
湯屋に行き、お文を抱いて眠りに就く。
何ということもない毎日である。
おおかたの江戸の人々の暮らしである。
これがつまり倖せなのだ。
このささやかな倖せを阻(はば)むものがあるとすれば、
よりうまい物を喰いたい、
いい着物を着たい、
辛い仕事をせずに楽をして暮らしたいという
人間の欲のせいに思えてならない。


3.さんだらぼっち
 「お須賀さん、後生だ。
お千代ちゃんが可哀想だから、もう堪忍してやって」
お文は哀願するような声で言った。
「お文さんが幾ら優しくしても、
この子の夜泣きは治まらないんですよ。
いいから、家の中に戻って下さいな」
お須賀の手には火の点いた線香ともぐさらしいものが握られている。
線香は一本どころか一束だ。
闇の中で火の点いた線香が赤くひかっている。
「お須賀さん、それじゃお千代ちゃんが火傷しちまう」
「いいんですよ。火傷しようがどうなろうが、
あんたの知ったことじゃありませんよ。
うるさいねえ、いちいち・・・」
お須賀は舌打ちをして吐き捨てる。
その言葉で、お文の胸の中で何かが弾けた。
「お千代ちゃんの泣き声より、
お前ぇの怒鳴り声がやかましいんだよ」
お文は低くしゃがれた声でお須賀に凄んだ。



4.ほがらほがらと照る陽射し
 「おれも何んでお文があんなことをしたのか、
最初はわからなかった。
不破の旦那の奥様がおっしゃったことによると、
夏の盛りに町方役人の親戚の娘が死んでいるんですよ。
お文はその死んだ娘と、どうやら顔見知りだったらしい。
ずい分可愛がっていたようなふしもあったから、
がっくり気落ちしたんだな。
それでまあ、夜泣きの娘が母親に叱られた時に、
死んだ娘と重なった気がして思わずやっちまったんだろう。
いずれにしても、
そん時のお文の気持ちは普通じゃなかったと思うが・・・」


5.時雨てよ
 お浜は六十を過ぎた年寄りだが、
まだまだ腕は衰えていない。
今まで三百人もの赤ん坊を取り上げたと自慢していた。
お文のことは乳首の色を確かめ、
腹を摩っただけで「はい、おもでとうさん。
養生して元気なお子を産みなさいよ」とすぐに言った。
ぼんやりしていたことに、はっきりと結論が出た。
しかし、お浜の家を出ると途端に心細い気持ちになった。
おみつにあんなことでもなかったら、
お文は真っ先に伝えただろうと思う。
きっとおみつは喜んでくれたはずだ。



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宇江佐 真理 「さらば深川・髪結い伊三次捕物余話」③

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「この先、何が起ころうと、それはわっちが決めたこと、後悔はしませんのさ」
誤解とすれ違いを乗り越えて、伊三次と縒りを戻した深川芸者のお文。
後添えにとの申し出を袖にされた材木商・伊勢屋忠兵衛の
男の嫉妬が事件を招き、お文の家は炎上した。
めぐりくる季節のなか、急展開の人気シリーズ第三弾。


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.因果堀
 増蔵がお絹を庇ったのは、そうして置き去りにおしたお絹への
罪の意識だったのだろう。
増蔵はお絹への償いのために一緒に逃亡しようとしたのだ。
守るべき田のない村に戻ったところで栓のない話だったとしても。


2.ただ遠い空
 「姉さん、あたい、今まで勝手気儘にやって来て、
それはそれでちっとも悔んじゃいないけれど、
一つだけ心残りがあるんだ」
おこなはしみじみした口調でお文に言った。
「何だえ?」お文は洟(はな)を啜っておこなに訊いた。
「あたいも、あの真っ白い衣装でお嫁に行きたかったって」


3.竹とんぼ、ひらりと飛べ
 伊三次はお文の桜色の爪に器用に小鋏を当てた。
「手紙なんざ、書いたりするのか?」
伊三次はお文の足に視線を落としたまま、さり気なく訊いた。
「何の話だ?」
「いや、ただ手紙を書くこともあるのかって言ってるだけだ」
「・・・・・」
「とても倖せに暮らしているから、
このままそっとしておいてほしいって・・・そん手紙をよ」
返事をしないお文に顔を向けると、
その眼に膨れ上がるように涙が湧いていた。
やはり、と伊三次は思った。
「せめて最後に顔を見せてやったらよかったんだ。
手前ぇは薄情な女だぜ」
美濃屋のおりうが死んだことで伊三次は自然に詰る(なじる)
口調になった。
「会って・・・・どうするんだよう。
会ったって一緒に暮らせる訳もねぇ。
その後が切ないだけさ」


4.護持院ケ原
 「赤ん坊の頃、親に捨てられたそうだ。
寺の坊主が親身になって育てたが、あの顔だ。
城の殿様に目をつけられて色子にされて・・・
思えば気の毒な野郎だよ。
そういうことが重なれば、
どんなまともな奴もでなくなる」
留蔵の言葉に弥八と伊三次はつかの間、黙った。
留蔵は観念した源之丞から鏡泉の生い立ちを聞いたのだ。


5.さらば深川
 「増さんに、この際、所帯を持てと言われた」
伊三次は少し躊躇したような顔をして口を開いた。
お文は驚いて振り返った。
「それでお前ぇは何と応えた?」
「うんと言ったよ」
「・・・・・」
伊三次が黙っているお文を心配そうな表情で、
じっと見ている。
「お前ぇはひどい男だ。
わっちが家をなくしてから、ようやくそんな話をする」
お文は、しばらくしてから吐息混じりに言った。
「家持ちの辰巳の姐さんに、
廻りの髪結い風情が豪気なことは言えねぇと思ってよ」
伊三次は言い訳するように応えた。
「こんなふうになるのを待っていたのかえ?」
「そういう訳じゃねぇが・・・」
「もっと前にその台詞、聞きたかったねえ」
お文はしみじみした口調で言った。
「遅いのか?」伊三次は真顔で訊いた。
「さあて、遅いか遅くないかは、わっちでもわからない。
これが潮時と言われたら、そうかも知れないと応えるだけだ」




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宇江佐 真理 「紫紺のつばめ・髪結い伊三次捕物余話」②

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材木商伊勢屋忠兵衛からの度重なる申し出に心揺れる、
深川芸者のお文。
一方、本業の髪結いの傍ら同心の小者を務める伊三次は、
頻発する幼女殺しに忙殺され、
二人の心の隙間は広がってゆく…。
別れ、裏切り、友の死、そして仇討ち。
世の中の道理では割り切れない人の痛みを描く
人気シリーズ、波瀾の第二弾。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.紫紺のつばめ
「家は手入れをしなければすぐに古びや
汚れが目立って来る。
それは人にも言える。
蛤町の家もあんたも、そろそろ手入れが
必要じゃないのかね、
そのためにわたしはひと膚脱ぎたいのだよ」
「他意はないとおっしゃるんですか」
「ああ、ない」
忠兵衛はきっぱりと言った。



2.ひで
 それは夢か幻であったのだろうか。
伊三次の目の前を雷神の彫り物をした男の背中が
通って行った。
「ひで!」思わず声が出た。
伊三次に呼ばれた男は瞬間、振り返ったが、
陽の光がまともに男の顔を照らし、
その表情は定かにはわからない。
白い眩しい光を浴びた男は
微か(かすか)に伊三次に向けて
笑ったような気がした。
「ひで!」伊三次はもう一度叫ぶように男を呼んだ。
そんなはずはなかった。
日出吉は宵宮の朝に息絶えたのだから・・・。



3.菜の花の戦ぐ(そよぐ)岸辺
 「わっちは芸者だ。
客に愛想を振り撒いて銭を引っ張ることだって
ありますよ。
確かにわっちは伊勢忠の旦那に家も直して貰ったし、
着る物の世話も掛けた。
御祝儀(おはな)にしては高過ぎるかも知れない。
だが、わっちは伊勢忠の旦那の囲い者になったつもりは
ありませんよ。
亡くなった先代の好意だと思って受けてくれと
伊勢忠の旦那はおっしゃいましたよ。
銭に物を言わせてわっちを思い通りにしようなんて
野暮なお人じゃない。
仮にそう言ったとしたら、
わっちは伊勢忠の旦那の言い分を蹴っていたでしょうね。
これでも羽織芸者だ。
芸は売っても身体は売りませんよ」
お文がそう言うと、座敷の隅で話を聞いていた正吉が、
「よ!」と掛け声を入れて掌を打った。
「文吉姐さん、いっちすてき」
増蔵はものも言わず立ち上がり、
正吉の前に進んでその頭を張った。


「増蔵さん、これが慌てずにいられますか。
牢送りになった下っ引きがどんなことになるか、
あんたも満更知らない訳でもあるまい。
お白洲に出る前に苛め殺されちまいますよ。
牢の中には、あの人の顔を憶えている者が
何人もおりますからね。
しょっ引かれた恨みをここぞとばかり晴らすでしょうよ。
大番屋にいる内はまだましというものだ。
とにかく増蔵さん、本当の下手人を早く捜して。
あの人にもしものことがあったら、
わっちは一生恨みますよ。
いや・・・わっちは後を追うかもしれませんよ」
お文は増蔵を脅すように低く言った。
「きゃあ、姐さん、芝居の心中もののような台詞だ。
乙にすてき、すてき」
正吉の能天気な物言いに、
増蔵の手がまた伸びていた。



4.鳥瞰図(ちょうかんず)
 「おどきなさい」いなみは伊三次に厳しい口調で言った。
「いいえ、退きやせん」
「お若いの、いなみ殿がそれがしを斬らねば
是非もないとおっしゃられるなら、
老い先短いこの命、何んの未練がござろう。
存分にご無念を晴らしていただきましょう」
そう言った日向から微かに伽羅(きゃら)の香が匂った。
なぜか伊三次はその年寄りを死なせてはならないと思った。


 
5.摩利支天(まりしてん)横丁の月
 「お殿様は世間の噂になっているような人じゃなかったのよ。
ただ、あたし達が遊んで笑い合っているのを
喜んでいただけなの。
でも、そんなこと言っても誰も信じない。
何を言っても言い訳になるから、あたし黙っていたのよ」
「おみつ、湯屋のお内儀さんは嫌か?」
弥八は唐突におみつに訊いた。
「え?」おみつは呑み込めない顔で弥八を見た。
「知ってるだろ?おいら、親父の養子になったんだぜ。
親父には子供がいなかったからよ。
末は松の湯のご主人様よ。
だが、おみつはおいらなんて頼りにならねぇから
嫌なんだろ?」
おみつは返事ができなかった。
何と答えていいかわからなかった。
「嫌でもいいんだ。
嫌でもおいらの気持ちは変わらねぇ。
ずっと変わらねぇ・・・・」




いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「幻の声・髪結い伊三次捕物余話」①

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本業の髪結いの傍ら、
町方同心のお手先をつとめる伊三次。
芸者のお文に心を残しながら、
今日も江戸の町を東奔西走…。
伊三次とお文のしっとりとした交情、
市井の人々の哀歓、
法では裁けぬ浮世のしがらみ。
目が離せない珠玉の五編を収録。
選考委員満場一致で
オール読物新人賞を受賞した渾身のデビュー作。

・・・・・・・・

1.幻の声
 伊三次は十二の時から京橋・炭町で内床を構えている
「梅床」十兵衛の弟子に入った。
十兵衛の女房のお園は伊三次の実の姉であった。
父親が普請現場の足場から落ちて怪我をして、
それが原因で呆気なく死ぬと、
もともと身体があまり丈夫ではなかった母親も
後を追うように半年後に死んでしまった。
伊三次はお園に引き取られた。
たった二人のきょうだいだった。

2.暁の雲
 「それは違う。もちろん一番悪いのはその浪人だ。
だが事が事だ。兄さんに慰めて貰おうなんざ甘い考えだ。
姉さんはもう芸者じゃない、堅気のお内儀だ。
昔は色が絡んだお座敷もあっただろうが、
それとこれとは別だ。
夫婦だから何でも喋っていいというものでもねエ。
むしろ喋らないことが兄さんに対する思いやりだ。
姉さんは自分の重荷を兄さんに背負わせただけだ。
むごい話だ、正直聞いて呆れる」

3.赤い闇
 不破はゆきの火打石のことは伊三次に口止めした。
卑怯と思われようが事の真相を晒す気はさらさらなかった。
「そうですよね。いまさら死んだ人間のやったことを
お白洲に持ち込んでもどうなるもんでもありやせんからね」
そう言った伊三次の言葉が唯一の不破の救いだった。
日向の御長屋に火をつけたのは、
あれはゆきのいなみに対する友情だったのだろうか。
ゆきの中にためらいはなかったのか。
いなみの無念が晴れる、いなみを喜ばしたい、
ただそれだけの理由で事が起こせたのか、
不破にはわからなかった。

 
4.備後表
 おせいはそれから一年後に死んだ。
喜八の子供に産湯を使わせ、
お君の産後の世話を果たし、
さらに表を二十畳も拵えて(こしらえて)から
おせいは逝った。
自分の表を酒井家の奥で見たことが唯一の誇りだと
死ぬまで言っていたそうだ。
いつもは忙しさに紛れて暮らしている伊三次だったが、
菊の咲く頃、決まっておせいを思い出した。
それは少年の頃の少し寂しくて切ない思い出も伴った。
菊は葉も茎も立ち枯れても、
なお花の部分だけは鮮やかに形を保つ辛抱強い花だ。
そんな菊はまるでおせんのようだと伊三次は思う。

5.星の降る夜
 「そうでしょうか。わたくしも弥八もお金で鳧(けり)の
つくことではないですか。お金さえあれば余計なことは
考えなくて済みますもの。
さきほど不破はたかが三十両と言いましたよね?
たかがと吐き捨てるほどには右から左へと動かせるお金では
ありません。それは不破もわかっております。
もちろん、うちにもそのようなお金はありません。
たかがと言うなら、たかが同心の家に三十両もの
大金はある訳がないと言うべきですわね。
でも不破のお義父様はわたくしのために
二十八両を工面なさいました。
先祖代々からの書画骨董を処分なさったからです。
その中には先代の上様にまつわる物もあったそうです。
そのような大切な物が、たかが二十八両で買い叩かれ、
たかが遊女一人に遣われたのです。

お義父様は金で済むことなら大したことではないと
おっしゃいました。
お金でわたくしの一生が買えたのなら安いものだと
おっしゃいました。
いなみは悪いのではない、
悪いのは世の中だ。
のう、いなみはこのように良い嫁女だ、
友之進にはもったいないくらいだ、と・・・。」




いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「晩鐘 続・泣きの銀次」


晩鐘 続・泣きの銀次 (講談社文庫)晩鐘 続・泣きの銀次 (講談社文庫)
(2010/12/15)
宇江佐 真理

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十手と鑑札を返上し、岡っ引きから足を洗って10年。
「泣きの銀次」も来年には不惑を迎えようとしていた。
小間物問屋の主として細々と暮らしていたある日、
銀次は監禁されていた娘を助ける。
実は近頃、娘のかどわかしが頻発しているという。
「下手人を捕らえるため手を貸して欲しい」
と言われた銀次は・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・

第一弾から10年後の銀次。

若いころは小間物屋としても大店を構えていたが、

二度の火事で今は店も小さく、行商もしながら

働き者の女房と4人の子供達と慎ましく暮らしている。

亡骸を見ると亡くなった妹を思い出し声を出して泣く銀次。

その為についたあだ名が「泣きの銀次」

今回の物語は十手を返上したにもかかわらず

拉致監禁暴行をされた娘を助けたのをきっかけに

また十手を預かり犯人捜しに奔走する。

短編と違って話が長くなるのは当然だけど、

ちょっと流れが唐突な感じで読みにくかった。

もう少し人の心の闇なり

傷ついた被害者の心情なりを織り込んで

話を進めても良かったような気がする。

犯人に至ってはなぜこのような残虐な犯行をするのか・・・

もう少し犯人の生い立ちや成長過程など

くわしく描いても良かったと思う。

現代でもある事件に被せると

気持ちの良い読後感とは言えないが、

事件解決の終わり方にしてもなんとなく物足りない。

続編も出ているけど、読むかどうか迷うなぁ・・・。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「口入れ屋おふく昨日みた夢」 


口入れ屋おふく昨日みた夢口入れ屋おふく昨日みた夢
(2014/07/31)
宇江佐 真理

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今日も「きまり屋」には、奉公人を雇いたい者、雇われたい者がひきもきらずやって来る。それでも、面倒が起きると助っ人として駆り出されるのは、決まっておふく。色気より喰い気、働きもので気立てのよいおふくは、金に渋い大将、内証に構わない女将、自分の弱さを売り物にする座頭、我侭妻に威張りん坊亭主…揃いもそろって偏屈な雇い主たちに憤慨したり閉口したり、時に同情したり。やり切れぬ思いをこらえながらも、様々な事情を抱えた人々と接するうち、おふくは姿をくらました夫への未練にも、自然と区切りをつけてゆく―。


おふくが活躍する6話。

理不尽な雇い主にも素直に一生懸命働くおふく。

表題の「昨日みた夢」は、姑・夫・子供二人からも女中同様に扱われる妻に対して、

おふくが代弁してくれるくだりが良い!

シリーズ化してますます面白くなる予感。

おすすめです。

宇江佐 真理 「日本橋本石町 やさぐれ長屋」」 


日本橋本石町やさぐれ長屋日本橋本石町やさぐれ長屋
(2014/02/21)
宇江佐 真理

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日本橋本石町に弥三郎店と呼ばれる長屋があった。
事情を抱えた住人ばかりが住んでいて――。

「時の鐘」
 真面目一徹、そろそろ嫁をと周囲から勧められる鉄五郎。
そんな鉄五郎に気になる相手が現れたのだが、
若くして出戻ったおやすという莨屋の女だった。

「みそはぎ」
 おすぎは、老いた母親の面倒をみている。
ある日、勤め先の井筒屋に見慣れぬ男が来るようになった。

「青物茹でて、お魚焼いて」
 おときの旦那は錺職人。
次第に泊まり込みの日数が長くなり、しまいにはひと月にもなった。

「嫁が君」
 おやすはずっと旦那が家にいるおひさのことが羨ましい。
ある日、この旦那が寄せ場からきた人物だと噂になる。

「葺屋町の旦那」
 おすがのかつての奉公先の倅が、弥三郎店にやってきた。
どうやらこの倅、わけありのようで。

「店立て騒動」
 弥三郎店が店立てに?!
住人は緊急事態にてんやわんやの大騒ぎ。
どうにかこの事態をとめられないか。
長屋の住人が一致団結して行ったことは。

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「時の鐘」
 
 「鉄五郎さんが出戻りのあたしを女房にしたいって言ってくれるのは涙が出るほど嬉しいよ。だけど、鉄五郎さんがあたしに世間並の女房を求めているのなら願い下げだ。あたしはあたしだ。今も十年先も気性は変わらない。出戻りだからって遠慮するつもりもないのさ。そこを承知してくれるのなら考えてもいいけど」

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「みそはぎ」

 「みそはぎは仏様の花だそうですね」銀助は訳知り顔で言う。「ええ。いつもお盆の頃に咲きます」「仏様はみそはぎの花の露でなければ口にされないそうです」「そうなんですか」おすぎは初めて聞いた。「仏様に供える禊ぎ(みそぎ)の萩だからみそはぎと呼ぶのですよ」

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「青物茹でて、お魚焼いて」

 「ごめんよ、ごめんよ。おっ母さんがばかだった。もう、どこにも行かなくていいからね」おときはおちよを抱き締めて泣いた。作次にも、お前がいてくれたお蔭で、おっ母さんは助かったと言った。「おいら、尾張屋に戻らなくていいのか」作次はそれが肝腎とばかり訊く。「ああ、おちよも一緒だ。でも、おっ母さんは、また夜のお仕事を続けなければならないから、二人とも我慢しておくれよ」「平気だ、おいら。尾張屋にいるより何んぼかましだ」「あたいも、おしょさんの家にいるより留守番するほうがいい」「そうかえ。さあさ、ごはんを炊こうね。作次、通りに出て、納豆売りを見つけたら、買って来ておくれ」「合点!」作次は張り切った声を上げた。ようやくあらぬ夢から覚めた思いだった。うかうかと忠助について行ったら、どんな目に遭ったかわからない。自分は甘い女だった。茂吉が帰って来なくても、自分は子供達の母親でいようと、改めてそう思うのだった。

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「嫁が君」
  「あたし、滅法界もなく倖せ」おやすはうっとりした顔になった。ひと月の間の鬱陶しいものが、俄かに(にわかに)晴れるようだった。井筒屋で鉄五郎の猪口に酌をしながら、六助夫婦のことを話してやろうと思った。(六助さんは寄せ場帰りだけど、お前さんはそんなこと気にしないだろ?あの人はいい人だ。おかみさんのおひささんも亭主思いの女房だよ。ねずみの始末をつけてくれたのも六助さんなのさ)鉄五郎に話す言葉を、おやすはあれこれ考えていた。
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「葦屋町の旦那」

 「この弥三郎店はな、やさぐれ長屋とも呼ばれているんだぜ。だがよ、やさぐれている者なんざ一人もいやしねェ。皆、おまんまを喰うためにあくせくしながら稼いでいるんだ。お前ェ、ひと月余りも新場で働いたから、ちったァ、貧乏人の暮らしがわかったんじゃねェか。それとも、まだわからねェか。」「兄さん、何が言いたい」「実家をおん出て意気がっているお前ェは大ばか野郎だってことよ」

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「店立て騒動」

  「お前さん、あたし、夢を見ているみたい。世の中には、こんなことも起きるのね」その夜、おやすは蒲団に入ってからも興奮して、なかなか眠れなかった。「井戸替えしたから、井戸の神さんのご利益もあったかな」鉄五郎はそんなことを言う。「きっとそうね。自分達のためでなく、後の人のことを考えて井戸替えしたのがよかったのよ。皆んなの優しい気持ちが通じたのよ」「だな」鉄五郎は満足そうに肯く(うなずく)。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「おはぐろとんぼ」


おはぐろとんぼ 江戸人情堀物語おはぐろとんぼ 江戸人情堀物語
(2009/01/21)
宇江佐 真理

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父親の跡を継ぎ、日本橋小網町の料理茶屋で料理人を勤めるおせん。上方で修業をし、新しくおせんの親方になった板前の銀助と、上方の料理を店に出すことを嫌うおせんとはたびたび意見が食い違う。そんないらいらした気分の日々が続くとき、おせんは、店にほど近い稲荷堀の水を眺めて心をしずめていたが、ある日湯屋で銀助と娘のおゆみと鉢合わせしたことから心に小さな変化が――仕事一筋に生きてきた女に訪れた転機と心模様を描く、表題作の「おはぐろとんぼ」ほか、薬研堀、油堀、源兵衛堀、八丁堀などを舞台に、江戸下町で堀の水面に映し出される、悲喜交々の人情のかたち六編。江戸市井小説の名手が描く感動の傑作短編集です!

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1.ため息はつかない
 
「お嬢さんは、うちのお袋のことをどんな女だと思っていました?」「柳橋の芸者さんだったってね。普段着を着ていても様子が垢抜けていたよ。勘助の話じゃ、お前を引き取ってからも後添えの話があったらしいよ。だが、皆、先様に子供がいる人ばかりだった。お前を連れて後添えに入れば、お前だけを可愛がる訳には行かない。また、子供のいない男は甲斐性なしで、先行きが不安だった。それでとうとう独り身を通してしまったんだよ」胸が熱くなる。喉が苦しい。豊吉は掌を口許に押し当てて咽んだ。「お前のおっ母さんこそ、ため息をつきたかっただろうね。あたしは、そう思うよ。」

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2.裾継(すそつぎ)
 
彦蔵は大きく肯いた。表櫓と裏櫓を繋ぐ意味の裾継は、まるで何かの象徴のようにも、おなわには思えた。いや、おなわはわかっていた。裾の補強に当てられた布は、おなわ自身であると。おみよが去って行った不足を補うのが、おなわの役目だったからだ。そう考えると、裾継という場所におなわがやって来たことの意味が腑に落ちる。

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3.おはぐろとんぼ
 
「うちがおらんかったら、小母さんはお父ちゃんと一緒になってくれはるの」おゆみは箸を止めて、おせんに訊く。「おゆみちゃん」おせんは何んと応えていいかわからなかった。「そいじゃ、うち、よその子になるし」おゆみが言った途端、おせんはたまらず掌で口許を覆った。父親を思うおゆみの気持が切なかった。「そういうことじゃないのよ、おゆみちゃん。小母さんはおゆみちゃんのおっ母さんになる自信がないだけなのよ」おさとは噛んで含めるように言った。「うち、言うことを聞くよ、小母さん。稲荷湯で百数えるまで湯舟に浸かるよ。それでもあかん?」

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4.日向雪(ひなたゆき)
 
竹蔵は死んで、ようやくほっとしたのかも知れないと梅吉は思った。(もう、金の工面をしなくてもいいぜ。竹、安心したろ?)梅吉は竹蔵の入った棺桶に胸で話し掛けた。荒縄で括られた棺桶は松助と与吉に伴われて静かに助次郎窯を出て行った。梅吉と職人達は掌を合わせて、それを見送った。瓦のけりをつけたら、助蔵に休みを貰い、すぐに梅吉は後を追うつもりだった。春だというのに、ちらちらと雪が舞っていた。空は明るい。それもそのはず、頭上には陽が出ていた。陽射しは源兵衛堀に柔らかな光を落としていた。「日向雪ね。お天道さんも竹蔵さんの供養をしているみたい」潤んだ眼をしたおちよが呟いた。

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5.御厩河岸(おうまやがし)の向こう
 
「向こうのおっ母さんが、ままを炊いて仏壇に供えると、鼻から湯気を呑むようで温かかった。仏さんには温かいものを供えるといいんだよ。線香の煙も温かくてよかったよ」「仏壇に毎日ままを供えているかい」「ええ。時々、忘れてお姑さんに叱られることもあるけどね」「時々なら忘れても構いやしないよ。忙しかったら、墓参りも無理にすることはない。肝腎なのは死んだ者のことを時々、思い出してやることさ」

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6.隠善資生の娘
 
「苦労したのだな」隠善がそう言うと、おみよは泣き笑いの顔で「でも旦那とお知り合いになれて、あたしは嬉しかった。おまけに、旦那の娘じゃないかと思って下さるなんて」と言った。「十六年前におれは前の家内を亡くしておる。家にいた中間に襲われたのだ。家内は助からなかったが、その時、家にいた女中と一緒に娘がいなくなったのだ。未だに行方知れずのままだ。おれも親だから、いつまでも娘のことが忘れられない。おみよを見て、前の家内に似ていると思うと、ここへ通わずにはいられなかったのだ。

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いつもありがとうございます


 

宇江佐 真理 「高砂 なくて七癖 あって四十八癖」


高砂 なくて七癖あって四十八癖高砂 なくて七癖あって四十八癖
(2013/08/31)
宇江佐真理

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四人の子持ちで飲んだくれの畳職人、
小普請組の武家に嫁いだ大工の娘、
幼い頃から見世を支えた口入れ屋の若お内儀…
倖せの感じ方は十人十色。
懸命に生きる男と女の縁を描く、心に沁み入る珠玉の人情時代小説。

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1.夫婦茶碗
 
「おれの気持ちなんざ、何もわかっていねェくせに、勝手なことをするな」「お前の気持ちだと?わかっているさ。備後屋の親方に仕込まれた通りの仕事をしたいのに、娘の婿がそうはさせないんだろ?それでやけになってお前は酒に溺れた。わかりやすい理屈だ。それも無理はなかろうと、お前は人から同情されたいんだろう。だが、そうは問屋が卸さない。お前の仕事はお前のものだ。たとい、娘の婿に言われたことでも最後に責めを負うのはお前だ。酒に溺れるより先にどうして娘の婿に喰って掛からない。こんな店を辞めてやると、なぜ言えない。小僧の時からこの道ひとすじにやってきたお前だ。その腕があれば、どこの畳屋でも使ってくれる。え、そうじゃないのか」

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2.ぼたん雪
 
金というのは厄介なものである。それがなければ人は生きて行けない。それゆえ、人々はあくせく金を稼ごうとするのだ。だが、あまりに金に固執する者は人はよく言わない。又兵衛も子供の頃から両親に、金、金と言うものではないと戒められた。世の中は金で回っていると知っていながら、実は金から眼を背けているようなところがひとにはある。

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3.どんつく
 
「ちゃん!」伝蔵が大声で叫ぶ。その声に女達は貰い泣きせずにはいられなかった。「あっしはまだ、お前ェのちゃんじゃねェ。よその小父さんと呼びな」浜次は吐き捨てるように言った。「どんつく・・・」孫右衛門は独り言のように呟いた。「抱き締めてやんな。当分、また顔を見られねェからよ」又兵衛はそう言った。その拍子に浜次の顔が歪んだ。涙を堪えたその顔はめちゃくちゃで、こんな場面でなかったら噴き出していただろう。

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4.女丈夫(じょじょうぶ)
 
「この世の中、男と女で成り立っているんだ。甲州屋も夫婦で商売をしているから信用があるんですよ。亭主を追い出した恐ろしい女房の見世に、誰が仕事を頼みたいものですか。おみささんは自分の力で甲州屋が続いてきたと思っているようですが、実は旦那の力もあるんですよ。あたしはそう思いますよ。旦那がおきささんと一緒に怒鳴り散らしていたら、奉公人なんて居着きませんよ。そうでしょう、お内儀さん」

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5.灸花(やいとばな)
 
「おれはみっちょを見ていると不思議な気持ちになるんだよ。親が何んの不足もなく産んでやったのに、真面目に働くこともせず、酒に溺れたり、浮気に走ったり、他人様の迷惑になるようなことをする奴がいるじゃないか。おなごだって同じだ。人よりいい所へ稼ぎたい、貧乏なんてごめんだという者が増えているよ。家の中のことをするより手前ェの楽しみを先に考えるんだ。口を開けば他人の悪口だ。そういう連中がみっちょより人間が上等とは思えないんだよ。それでもそういう連中はみっちょのことをばかにする。おかしな話じゃないか」
 

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6.高砂
 
しみじみ、よい夫婦だとも思う。夫婦はこうあらねばならぬということを策庵夫婦から教わったような気がした。すると、自分の言葉も自然に頭に浮かんだ。(おいせ。お前の人別を入れるぞ。おれ達が死んだ後に子供達が金のことで揉めるのはいやだ。おいせ、ここはきっちり決めてくれ。どうするもこうするもお前次第だ。おれは文句を言わん)家に帰ったら、又兵衛はそう言おうと思った。桂順に名前を呼ばれ、薬を貰っても、又兵衛の気持は上の空だった。早く会所に戻っておいせに伝えたい。そればかりに気がはやっていた。

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いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「夜鳴きめし屋」 


夜鳴きめし屋夜鳴きめし屋
(2012/03/17)
宇江佐 真理

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本所五間堀にある「鳳来堂」。
父親の古道具屋を、息子の長五郎が夜鳴きめし屋として再開。
朝方まで営業している店には、父親の友人たちや、近くに住む武士、
芸者や夜鷹までさまざまな人々がやってくる。
その中に、かつて長五郎と恋仲だった芸者のみさ吉がいた……。
『ひょうたん』の世界から十数年後、待望の続編登場!

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1.夜鳴きめし屋
 
「薄情だぜ、お父っつぁんとおっ母さんは」長五郎は仏壇に灯明を上げて恨み言を言ったものだ。お鈴が亡くなると、長五郎はしばらく腑抜けのようになった。これからは一人で何でもしなければならないとだと頭でわかっていても身体が言う事を聞かなかった。見世の口開けの時刻も、以前なら七つ(午後四時頃)だったのが、どんどん遅くなり、暮六つ(午後六時頃)の鐘が鳴っても暖簾を掛けなくなった。手前ェ一人が喰えればよいという気持ちもあったからだ。だが、とにかく、見世は休むことなく毎日開けた。それはお鈴の遺言でもあった。たとい客が来なくても、商売をする家は毎日見世を開けるのが肝腎なのだと。

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2.五間堀の雨
 
これからどうなるのだろう。長五郎はぼんやり思う。惣助と出会う機会があったということは、亡き両親の思し召しだろうか。そんな気がする。惣助が持ち帰った万年青(おもと)の鉢を窓框(まどかまち)に飾り、それを眺めるみさ吉の白い顔もぼんやり頭に浮かんだ。

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3.深川贔屓(ふかがわびいき)
 
「惣助は・・・おいらの倅になるんですかい」長五郎の問い掛けに、みさ吉はつかの間、黙った。それから長五郎を上目遣いに見ながら口を開けた。「どうしてそんなことを訊くの?」「どうしてって、そんな気がしてならねェからですよ」「思い過ごしですよ。おおかた駒奴が余計なことを喋っていたのね。そんな訳があるもんですか」みさ吉は怒ったように言った。「しかし、それなら、なぜ湊屋は惣助を引き取らねェんで?」「それはあたしが惣助を育てると先様に言ったからですよ。引き離されるのはいやだったの。もう、あたしには惣助以外、身内と呼べる者はいなかったし」

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4.鰯三昧(いわしざんまい)
 
「姐さんは肝腎なことをひとつも言わない。おいらが惣助を気にするのは、もしかしてあいつが手前ェの倅じゃなかろうかと思っているからですよ。しかし、姐さんはそうじゃねェときっぱり言った。そのくせ、菱屋の奉公の話が持ち上がると、さして考えもせず決めちまった。どういうことなんで?普通は別の店にするんじゃねェですかい。思わせぶりなことばかりするあんたに、おいらも惣助もいい加減、うんざりしますよ」

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5.秋の花
 
「ここからずっと外の様子を見ていたのよ。和泉屋はきれいさっぱり壊されちまった。建てる時は何か月も掛かるのに壊すとなったら、あっという間ね。お蔭で酔いも醒めちまった」みさ吉は存外落ち着いた声で応えた。「駒奴と増川姐さんは無事でした。お内儀さんは気絶して自身番に運ばれたそうですが」「そう・・・」「これからどうしますか」「わからない」「姐さんの身寄りは誰も残っていないんでげしょう」「そうね。でも、惣助を奉公に出した後でよかった。親子で路頭に迷うなんてみじめだもの」「身を寄せる所がないなら、そのう、鳳来堂に来ませんか。おいらは独り者ですから遠慮はいりませんよ。見世の二階には狭いですけど寝る部屋もありますし」

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6.鐘が鳴る
 
「実は女房を待っているんですよ」「え?」浦田は驚いて長五郎をまじまじと見た。「女房がいたのか」「以前に惚れたおなごがいたと申し上げたことがありますが」長五郎は浦田の視線を避け、落ち葉に眼を向けて言う。「うむ、それは聞いた」「そいつですよ。十年以上も離れていたんですが、その間に倅まで拵えていたんですよ」「ほう!」浦田は力んだ声になる。わしの知っているおなごか、と浦田は続けた。「和泉屋で駒奴と一緒にお座敷に出ているみさ吉という芸者ですよ」「聞いたことがあるような、ないような。もう一度会えば、はっきりわかるだろう」「倅にもてて親だと明かしました。これから親子三人で生きて行くつもりなんですが、肝心のみさ吉が、果たしてここへ来るかどうかわかりやせん。もう四つを過ぎましたよね」長五郎は不安な気持ちを浦田に言った。「きっと来る。拙者も一緒に待ってやろう」「ありがとうございます」

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いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「銀の雨 堪忍旦那為勘八郎」 


銀の雨―堪忍旦那為後勘八郎 (幻冬舎文庫)銀の雨―堪忍旦那為後勘八郎 (幻冬舎文庫)
(2001/08)
宇江佐 真理

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北町奉行所の同心、為後勘八郎は見廻りの道すがら、 

見なれぬ路地に通う近くの少女、おみちを目にする。

おみちは客引きの中年男、富蔵のもとを訪ねているらしい。

おみちを案じた勘八郎が探索すると、

二人には意外な真相があって…。

男と女、家族の情を描いた「その角を曲がって」ほか、

市井の人々を温かくみつめた超一級の味、人情捕物帳。

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1.その角を曲がって
 
「おじさん、そんなこと言わないで。お父っつぁんが死んでもこの角はあるのよ。いつだってあるのよ。ここはお父っつぁんが死ぬと同時になくならなきゃいけないのに・・・」勘八郎はつかの間、黙った。勘八郎も同じような気持ちになったことがあって。母親が死んだ翌朝、いつも通り納豆売りが組屋敷の前を通ったのに驚いた。すると庭の樹がいつもと変わりなく葉裏を見せて風にそよいでいるのも、空が青いのも、雀がうるさく鳴く声もすべて不思議に思えた。

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2.犬嫌い
 
「やい、おりせ。何だ手前ェは。犬をけしかけて小夜に怪我をさせたくせに、大きな口を叩くな。犬で騒ぎを起こしていなごが振り向くと思ったのか?八百屋お七の真似はこの節、流行らねェんだよ」八右衛門が慌ててゆたを制した。「ゆた、お前は黙っていなさい」しかし、ゆたは黙らなかった。「いなごもいなごだ。おりせのお面のいいのに騙されて、おりせの犬が当の噛みつく犬だと見抜けなかったのか?とんちき!見習い同心が聞いて呆れる」玄之丞がぷッと噴き出した。「いなごとは拙者のことでござるか?」


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3.魚棄てる女
 
「あんた女だろ?女が大の男に恥を掻かせていいと思うのか?そりゃあ兄さんは落ちぶれて今は干物売りなんぞしている。でれでれ酔っ払う。だけどその理由はあんたも十分に知っているはずじゃない。兄さんが悪いんじゃないだろう>兄さんを陥れた奴等が悪いんだろ?身に降り掛かった火の粉を払え、だ?阿保抜かせ。おいらの親父はな、火事の手伝いに行って火の粉を浴びて死んじまったい!簡単に言うない。あんたは自分の祝言の相手だった男が落ちぶれているのが恥ずかしいんだ。あんたが恥ずかしいんだ。干物を売ってどこが悪い?悪いことをして暮らしている訳じゃないんだ。あんた、兄さんの干物、買うばかりで喰ったことがあるかい?そりゃあうまいんだぜ。江戸髄一の味だぜ。ああそうか。あんたは喰ったことないよな?皆、堀に棄てているからなッ!」

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4.松風
 
「為後殿のなされたこと、拙者、すべてが間違っていっとは思われませぬ」「ほう・・・」「人間のすること故・・・お上の御定書では収まり切れぬこともございます」「よく言うた、主馬。ならばお父上を許せるな?」「・・・・」「許せるな?おれを許せるのなら、お父上のことも許せるはずだ。お父上は腹を切られて落とし前をつけられた。おれはそのまま生き恥を晒しておる。お父上は男らしく生涯を終えたのだ。そう思ってやれ」

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5.銀の雨
 
主馬はこの頃、二代目堪忍旦那と呼ばれるようになった。十代の頃のようにぎりぎりと下手人を追及しないせいだろう。主馬が勘八郎の二代目のように呼ばれることはこそばゆい。養子に入ったからと言って何もそこまで真似することはないのだ。真似ではないと主馬は言う。水が低いところに流れるように自然にそうなったのだと。心なしか主馬の眼は優しくなった。勘八郎はまた余生のことを考えていた。太一郎が見つめる雨は仄白い銀色をしている。勘八郎はその銀の雨を飽かず眺めた。

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いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「卵のふわふわ」


卵のふわふわ 八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし (講談社文庫)卵のふわふわ 八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし (講談社文庫)
(2007/07/14)
宇江佐 真理

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のぶちゃん、何かうまいもん作っておくれよ―。

夫との心のすれ違いに悩むのぶをいつも扶けてくれるのは、

喰い道楽で心優しい舅、忠右衛門だった。

はかない「淡雪豆腐」、

蓋を開けりゃ、埒もないことの方が多い「黄身返し卵」。

忠右衛門の「喰い物覚え帖」は、

江戸を彩る食べ物と、温かい人の心を映し出す。

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「人はね、当たり前のことがおもしろくないんだよ。
裏返しや逆さまが好きなのさ。
とどのつまり、人って生き物はへそ曲がりなんだよ。
正一郎は、このできそこないのうで卵さ。
のぶちゃん、普通のうで卵にしておやりよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「無用の用でございますよ、旦那」
今助は訳知り顔で応える。
「無用の、用?」
「さいでげす。
あたくしもそうですよ。
お座敷にゃ、きれいどころの姐さんがいれば、
本来、それで事足りるはずじゃねェですか。
ところが、あたくしのような馬鹿をやる者を
わざわざ呼んで下さる。
ねぇ、世の中はおもしろいもんです。
あたくしとご隠居の気が合った訳は、
案外、手前ェの役回りが似通っていたからでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

舅姑には可愛がられ恵まれているが、

夫との仲がうまくいかず離縁寸前までいく「のぶ」

人と食べ物がもたらす不思議なつながりを軸に

舅から夫婦とは何かを身をもって学ばせてくれる物語です。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「玄冶店(げんやだな)の女」


玄冶店の女 (幻冬舎文庫)玄冶店の女 (幻冬舎文庫)
(2007/08)
宇江佐 真理

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日本橋の玄冶店と呼ばれる路地で小間物屋を営むお玉は、元花魁。

身請けされた旦那と縁が切れた矢先、

芸妓屋の顔見知りの娘が通う手習い所の師範・青木陽蔵に出会う。

その清廉な人柄に、お玉は強く惹かれるが、

それは世間が許さぬ分を越えた恋だった…。

運命に翻弄されながらも健気に生きる女たちの

切なくて心温まる八つの物語。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「やい、手前ェ等、何しやがる。
こっちは、ちいと熱いとは思ったが、
後から来るお人のことを考えて、
じっと堪えて入ってるというのに、
手前ェ等は遠慮もなく水を埋めて、
ここは手前ェ等の貸切りかえ?
口を開けば雇い主の悪口三昧、
あまり調子に乗り過ぎて、
おう、そこの地黒のあまっちょ、
後ろに志の田の娘がいることも目に入らねェらしい。
手前ェの一言一句、あまさず今夜の内に
お内儀の耳に入るだろうよ。
ふん、一年こっきりの風まかせの奉公だ?
手前ェは明日の朝、お払い箱よ」

お喜代はいっきにまくし立てた。
二人の女中は青くなって言葉もなく、
その場に突っ立っていた。

「出ました!」
小梅はお玉の耳許に囁いた。
深川芸者だったお喜代は理不尽な場面に出くわすと、
相手が誰であろうと噛みついてゆく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今まで顔を合わせていた人間がいなくなるのは寂しい。
いよいよ深まる秋ならなおさら。
その中で堀際の小菊だけは風に吹かれてながら、
いつまでも咲いていた。
女隠居の家の前を通る度、
お玉はいやでもその小菊が目についた。
葉も茎もすっかり茶色に枯れているのに、
錆朱の花びらだけは頑固に形を保っていた。
そんな花は嫌いだとお玉は思う。
いっそ、真っ先に花びらを散らしたらいいものを。
辛抱、勘忍。
女の持つ美徳、いや悪徳をお玉は菊の花に感じた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「今まで当たり前のように、お花やお喜代や
青木先生があたしの傍にいたじゃないか。
それがあっと言う間に皆いなくなる。
仕方のないことと思いながら、
あたしはつくづく世の中が恨めしいよ。
去られてみて、あたしは自分にとって、
お花やお喜代や、青木先生がどれほど大事だったか、
どれほどそれによって倖せだったかを
思い知らせたのさ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


川の流れにできる渦のように皆んなと出会い、
また流れの勢いで渦はほどけ、
てんでんぱらばらにどこかへ流される。
これがひとの世であり、
誰もその流れには逆らえないのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

女の幸せをお玉・お喜代・お花それぞれが向き合う形で

描かれています。

女一人で生きて行く事はできても、

一人の寂しさに耐えて行けるだろうか・・・

現代に置き換えて考えさせられた物語でした・・・。



いつもありがとうございます


宇江佐 真理 「聞き屋与平 江戸夜咄草(よばなしぐさ)」


聞き屋与平―江戸夜咄草 (集英社文庫)聞き屋与平―江戸夜咄草 (集英社文庫)
(2009/07/16)
宇江佐 真理

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夜が更けるとともに、ある商家の通用口に、男がひっそりと座る。

「お話、聞きます」。

与平は人の話を聞く、聞き屋。

姑の愚痴をこぼす嫁、主人への不満を募らせる奉公人。

過去に犯した過ちを告白する者…。

みな、そこで重荷をそっと下ろして家路につく。

聞き料はお客の気持ち次第。

温かい家族に囲まれ、商売も順調。

儲けのためでも酔狂でもない。

与平はなぜ話を聞くのか。

心温まる連作時代小説。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

薬種問屋の大旦那である与平。

三人の息子に恵まれ、それぞれがお店を継いでくれている。

長男が本店。次男は同業のお店へ婿へ。三男は分店。

与平の父親は、先代の店の番頭だった人。

先代の店は、火事で焼失。

その時に先代主人も亡くなり、

借金をかかえていたお店に見切りをつけていた先代のお内儀は、

子供を連れて実家へ行ってしまう。

番頭であった父親が看板を買い取り、一から店を建て直す。

苦労の連続も真面目な仕事ぶりに徐々に繁昌して行く。

長男であった与平も父親の真面目さを受け継ぎ

女中だったおせきを女房にし、地道に仕事に励む。

与平も50を過ぎ、息子たちに店を引き継ぎ隠居生活。

他にやる事がなかった与平が思いついた「お話し聞きます」。

人は誰かに胸のうちを話したいもの。

ただ聞いてくれるだけで良い。

そんな何気ないことから始めた「聞き屋」で

不思議な「縁」が出来ることも・・・。

少しミステリーも含めた人情物です。

与平自身にも実は秘密がありました・・・。

先代の主人が火事で逃げ遅れた事には、

隠された事実がありました・・・。

与平は、誰にも知られる事はないと思っていたのですが・・・

家族・絆・縁・そして生きる事への励み・・・

与平に話を聞いてもらう事により、

それぞれが感じ、学び、成長する物語でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「雪まろげ・古手屋喜十為事(しごと)覚え」

雪まろげ: 古手屋喜十 為事覚え雪まろげ: 古手屋喜十 為事覚え
(2013/10/22)
宇江佐 真理

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これでまた、一緒にうまい酒が飲める――

心やすらぐ人情捕物帳、第二弾!

浅草・田原町で小さな古着屋を営む喜十。

北町奉行同心の片棒を無理矢理担がされ、

今日もまた、誰かのために東奔西走。

そんな中、店先に捨てられた赤ん坊を女房が引き取ると言い出した。

突然父親に仕立て上げられ、戸惑う喜十だったが――。

店の前に捨てられていた赤ん坊を、

養子にした喜十。

ある日、生き別れになった赤子のきょうだいが突然、姿をあらわした。

北町奉行所隠密廻り同心の上遠野平蔵は

四人の子どもをそのまま引き取れと無茶を言ってくるが…。

心やすらぐ時代連作集。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.落ち葉踏み締める
2.雪まろげ
3.紅唐桟
4.こぎん
5.鬼
6.再びの秋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.落ち葉踏みしめる


 父親を病で亡くして母親と兄妹6人のその日暮らしの新太一家。

14才の新太が一家の稼ぎ頭としてしじみ採りをして売り歩く日々。

母親は幼い弟や妹にも強制してあさりのむき身の仕事をさせる。

日々の暮らしに嫌気がさした母親は、長女を吉原へ売る。

そればかりか、生まれたばかりの末っ子「捨吉」を

どこかに養子に出すか、捨てて来いと新太に命じる・・・。


ある日、古手屋の喜十の店に立ち寄り、しじみを買ってもらった時に、

「うちは二人暮らしだから・・・」の言葉を聞き、

新太は、ここの家で捨吉を育ててもらおうと心に決め、

夜遅くに捨吉をおくるみと手紙を添えて店先の陰に置いて立ち去る・・・


日々が流れても、新太は捨吉の事が頭から離れない。

元気でやっているか、あの夫婦は捨吉を育ててくれているだろうか・・・

新太は、弟の幸太としじみ売りに古手屋に行くと、

捨吉をおんぶした女房が出てくる。

二人は、ちゃんと捨吉を育ててくれていた・・・

安心したその時に、弟の幸太が「捨・・・」と声をかけてしまう。


喜十は、二人に事情を聞き、今後この店には来ない事。

捨吉とは縁を切ったものとする事を約束させる。

新太は罪悪感を抱えたままでいた・・・

母親は妹の身売りの金で働かず酒ばかり飲むようになっていた・・・。

酔った勢いで新太に捨吉の養子先を問い詰める母親。

あわよくば、養子先から金を都合させようとする母親に、

新太はいままでの思いも重なり、憤り、

母親につかみかかる・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一章目から、せつなくて悲しい物語なんですが、

新太の苦労と弟妹思いが報われるよう期待しながら読みました。

最後の「6.再びの秋」に新太の弟幸太が登場して、

捨吉や妹たちの今後の行方が描かれています。

おそめは捨吉を育てる事によって新たな生きがいを得ます。

捨吉が近所のこまっしゃくれた遊び友達から教えられた

生意気な言葉を発する場面などは、クスクスとなります。

一番苦労して悲しい思いをした新太と対照的に

捨吉はみんなから可愛がられのびのびと育って行きます。

新太は他の弟妹にも強い思いを残します。

その思いが喜十の心を動かし行動します。

出来ることは限られても、助けてくれる人はいるものです。

そんな喜十の日頃の心がけが思わぬ幸運を招きます。

お兄ちゃんである新太の強い思いが喜十に伝わったような、

そんな報われ、泣ける物語でした・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「夕映え」


夕映え (上) (角川文庫)夕映え (上) (角川文庫)
(2014/03/25)
宇江佐 真理

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夕映え 下 (角川文庫)夕映え 下 (角川文庫)
(2014/04/08)
宇江佐 真理

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常連客で賑わう江戸は本所の縄暖簾「福助」。

おあきと弘蔵夫婦、見世の切り守りを手伝う娘のおてい。

平凡だが幸せな暮らしを営む一家の心配の種は、

風来坊の息子・良助のこと。

奉公先を飛び出し彰義隊に志願したと風の噂で知り、

家族は気が気ではない・・・。

江戸から明治へと、大きな時代の波に翻弄される市井の

人々の暮らしと、いつの世も変わらない親心。

激動の時代を庶民の視点からダイナミイクに描きだす傑作時代長編!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


官軍と幕府軍の対立は激化の一途をたどるばかり。

彰義隊に身を投じた良助は、上野の山の戦に加わると言い、

おあきと弘蔵のもとへ最後の挨拶にやってきた。

お願いだから、生きていて・・・

ただひたすらな親の祈りは届くのか。

江戸から明治へと大きくうねる時代の波は、

人々の人生を容赦なく呑み込んでしまう。

移りゆく世相を克明に活写しながら、

日々を懸命に守ろうとする市井の者たちの

生きざま人情を謳いあげる感動長編!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「やい!何んだ手前ェ達は。
さんざっぱら大筒で人を殺しておいて、
まだ足りないのか。
確かに、この家の倅は彰義隊に入っていたさ。
そいつは誰が勧めた訳じゃない。
上様のためだと思って倅が勝手にやったことだ。
止められるもんかね。
戦が始まって、おかみさんは夜も寝られないほど心配していたんだ。
線香の匂いがするだろ?
今日だって朝から無事を祈ってご先祖様に拝んでいたんだよ。
生きているのか死んでいるのかわかりゃしない。
てて親はずっと倅を捜して上野のお山を駆けずり回っている。
え?そんな親の気持ちが手前ェ達にはわからないのか。
手前ェ達にも親はいるだろう。
言わせて貰えば、うちの倅だって薩摩っぽに雇われた浪人に
殺されたんだ。
誰にも文句のつけようがなかったよ。
泣き寝入りだ。
これ以上、手前ェ達の勝手は許さないよ。
家の中を改めるだ?
もしもいなかったら、どう落とし前をつけるんだ」
おすさは凄い形相でまくし立てた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「こいつは江戸の夕映えなんだな。
薩長が関ヶ原の仇を討つかのようにご広義を倒し、
それから幾つも戦があって、
とうとう江戸の時代は踏ん張り切れずに幕引きしちまった。
見ねェ、おあき。
きれえなもんじゃねェか。
いいこともたくさんあったから、
忘れねェでおくんなさいと、
最後の最後に渾身の光を放っているのよ。
おれはそんな気がするな。
こんな夕映えは東京にいたら滅多に見られねェよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いつの時代も生きて行くのは切ねェものよ。
だから人は、昔はよかったと愚痴をこぼすのよ。
昔だって、必ずしもいいことばかりがあった訳じゃねェのによ。
過ぎたことは、皆、よく思えるんだろう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「古手屋喜十為事(しごと)覚え」  

古手屋喜十 為事覚え (新潮文庫)古手屋喜十 為事覚え (新潮文庫)
(2014/02/28)
宇江佐 真理

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お江戸は浅草のはずれ、田原町で小さな古着屋を営む喜十。

恋女房のおそめと二人、子がいないことを除けば

日々の暮らしには不満はない――はずだったのに、

何の因果か、たまりにたまったツケの取り立てのため、

北町奉行所隠密廻り同心・

上遠野(かとの)平蔵の探索の手助けをする破目になる。

人のぬくもりが心にしみて、思わずホロリと泣けてくる、

人情捕物帳の新シリーズ、いよいよスタート!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「女房は可哀想な奴なんですよ。
てて親は材木問屋をやっておりましたが、
ダチに騙されて借金を背負い、
店を潰されてしまいました。
それだけならまだしも、
てて親は、がっくりと力を落として死んじまったんですよ。
母親もてて親の後を追うように半年後に・・・。

一人ぼっちになった女房は
柳原の土手で首隘り(くびくくり)をしようとしたんですよ。
まあ、それを助けた縁で、わっちは女房と一緒に
なったんですがね。
首隘り(くびくくり)なんざ、するもんじゃありませんよ。
女房はそれが原因で、
でかい声が出せなくなったんですから」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

よくある捕り物帳やおせっかいお世話人のもめ事解決とは

ちょっと違って、どちらかと言うと、

懇意にしている隠密同心に頼まれたから

仕方なく事件を解決して行くという感じです。

事件自体もよくある話ですが、

古手屋という中古の着物から謎を解いていくパターン。

着物は生活にかかせない物ですし、

その人となりもうかがえる品物なので、

事件性があるとなると、

喜十は仕事ほったらかして奔走します。

たいして儲けにならなくても喜十や女房おそめには、

縁のある事件もあり、ひとごととは思えない。

人情味豊かな人柄がほろっとさせられる物語でした。

第二弾では、

喜十夫婦が捨て子の赤ん坊を養子にするらしいですヨ。

だけど、その捨て子のきょうだいと名乗る人物が現れて、

これまたいろいろ無茶な事がおこるみたいですネ。

第二弾も楽しみなシリーズです。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「おちゃっぴい」


おちゃっぴい―江戸前浮世気質 (文春文庫)おちゃっぴい―江戸前浮世気質 (文春文庫)
(2011/01)
宇江佐 真理

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札差駿河屋の娘お吉は、町一番のおてんば娘。

鉄火伝法が知れわたり、ついたあだ名がおちゃっぴい。

どうせなら蔵前小町と呼ばれたかったけれど、

素直にゃなれない乙女心、やせ我慢も粋のうち…。

頑固だったり軽薄だったり、面倒なのに、なぜか憎めない江戸の人人を、

絶妙の筆さばきで描く傑作人情噺。

大笑い、のちホロリと涙の六編集。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.町入能(まちいりのう)

「あいにくだが、こちとら生まれつき物覚えがいい質でな、
小汚ねエ裏店住まいは骨の髄まで滲みついていらアな。
手前エのその仏頂面は忘れようにも忘れられねエ。
こいつは棺桶に入エるまでついて回るというものだ。
手前エも今後、侍とつき合う時は、
もちっと目立たねエように振舞うことだ。
そうでなけりゃ、おれのように一生その顔を
覚え続ける羽目になるんだからな。
わかったか、初五郎!」

・・・・・・・・・・・・・・・
2.おちゃっぴい

「惣助、お前は武家出が自慢らしいが、
そんなものは今じゃ何の役にも立ちゃしないよ。
貧乏御家人の子だくさんで、お前のおっ母さんは
可哀想に三十を過ぎたばかりだったのに、
うちのおばば様より老けて見えた。
喰う物も喰わずに、お前のお父っつあんは労咳に倒れ、
医者だ薬だと金を遣った挙句に死んじまったそうじゃないか。
残されたのは借金と腹を空かせた五人の子供達。
長男のお前を士官させようにも紋付も二本差しも質に入れて、
何とも恰好がつかなかったと聞いてるよ。
よしんば士官が叶ったとしても、
小普請組からいただく雀の涙のような禄じゃ、
到底暮らしが成り立つはずもない。
お前のおっ母さんは、侍なんてたくさんだと言っていたよ。
うちのお父っつぁんが畏(おそ)れながらと礼を尽くして
お前を手代に抱えることで借金を帳消しにしてやった。
そうでもなかったら、お前の所は一家心中で、
今頃は投げ込み寺に卒塔婆(そとば)が六基、
立っていたに違いない。
武家の頃の許嫁だって?笑わせるんじゃないよ。
向こうさんだってほっとしてるわ。
少なくてもお前と一緒になって貧乏に喘ぐ(あえぐ)よりましさ」
 お吉はいっきにまくし立てた。
お玉は驚くよりお吉の啖呵(たんか)に感心した顔をしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・
3.れていても

「れていても、れぬふりをして、られたがり、
でございましたね、若旦那」
備前屋は、また知ったかぶりの川柳を振り回した。
「何だよ、備前屋、れていてもって」
与四兵衛が飲みこめない表情で備前屋の分別臭い顔を見た。
「上にほの字をつけてごらんよ、与四兵衛」
菊次郎が訳知り顔で言った。
「あ、惚れていてもね?なある・・・
いいね、その文句。あちきも今度遣おう。」
「ふん、野暮はこれだから困る。
備前屋、珍しくわたしの気持ちはわかってくれたね?」
「わかりますとも」
備前屋は大きく肯いた。

・・・・・・・・・・・・・・・
4.概ね(おおむね)、よい女房

「おときさん・・・」
おすまはそう言ったきり、再び喉を詰まらせた。
男達は俯いたきりである。
武家の家の複雑な事情が重くのし掛かっていた。
誰しも、これで素町人の暮らし方が案外倖せなのかも知れないと、
そっと思ったはずである。
幸右衛門も女のような仕種で眼を拭っていた。
重苦しい雰囲気に苛立ったように、
今朝松が突然、声を上げた。
「ふんとにもう・・・」
勘助店の連中はその声で一斉に顔を上げ、
ぷっと噴き出した。
梅吉などはそのまま顎をのけぞらせて馬鹿笑いしている。
おすまは今朝松の方を向いて
「ふんとにもう、人の口真似ばかりして、この子は」と、
呆れたように言った。
その顔はもう、いつものおすまだった。

・・・・・・・・・・・・・・
5.驚きの、また喜びの

「親分、あっしがこいつを十四でこさえた話は
聞いていなさいますね?」
「ああ・・・」
「あっしとおそでは所帯を持つことを親に許して貰いやしたが、
暮らしの面倒は一切見ないという約束でほっぽり出されやした。
正直、苦労しやした。広い世間に二人ぽっちでした。
米が買えなくて一人分の飯を粥にして啜ったことが
何日も続きやした。
こいつが生まれても暮らしはそうそう変わるもんじゃありやせん。
いや、むしろ、ますます苦しくなった。
今度ァ一人分の飯を三人で分け合う暮らしでさァ。
だが、おそでが言ったんですよ。
うちは三人で一人前だから、何でも三人で力を合わせて行こうってね。
おそでは三つになったこいつにも噛んで含めるように言いやした。
こいつは殊勝に肯いておりやしたよ。
娘達が生まれても、そいつは同じでさァ。
何をするにも家族で一緒になってやって来ました。
て組に入って梯子乗りを任された時ァ、
怖じ気をふるって断ろうかと考えていたら、
子供達が言うんですよ。
ちゃん、肝っ玉が小せェんだよって。
その言葉に励まされて、あっしはやりましたよ。
あっしは手習所にもろくに通わなかったし、
倅や娘達に教える物は何もねェ。
せめて梯子乗りの技と纏(まとい)持ちの心意気だけは
伝えようと決心したんでさァ。」

・・・・・・・・・・・・・・・
6.あんちゃん

祝言の日、おかねは、おゆきの店で誂えた白無垢の衣装で輿入れして来た。
おゆきも祝言の機会に、しっかり商売っ気を見せ、
それにも菊次郎はうんざりだった。
何ほど極上の衣装か知れないが、
これほど花嫁衣裳の似合わない娘もいなかった。
こってりと白造りに白粉を塗った顔は、
たちの悪い雪女、京紅を塗った大きな口から見える歯が、
やけに黄ばんで見えた。
嬉しさにその顔で菊次郎に笑い掛けるものだから、
菊次郎はおかねの綿帽子をぐっと引き下げた。
おかねはおとぎ話の鉢かずき姫のようになって、
それでも祝言の席では殊勝にしていた。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「涙堂(なみだどう)  琴女癸酉日記(ことじょきゆうにっき)」


涙堂 琴女癸酉日記 (講談社文庫)涙堂 琴女癸酉日記 (講談社文庫)
(2005/08/12)
宇江佐 真理

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同心だった夫・高岡靫負はなぜ斬られたのか?

蟠る疑問を胸に妻の琴は、

侍を捨てて浮世絵師となった息子・賀太郎と日本橋通油町で同居を始める。

幼なじみで医師の清順や汁粉屋の伊十と親しみ、

移ろう江戸の風物に目を向けて筆を執るうちに、夫の死の謎が解けてきて…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・


日本橋通油町(とおりあぶらちょう)

この町と人々を慈しみ、元同心の妻・琴が綴る笑いと涙と優しさに溢れた日々。

江戸市井小説の名手が描く連作短編集。

「白蛇騒動」

弥生25日。

4代目鶴屋南北の「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」、

大層な評判なり。


「近星」

皐月19日。

願人坊主になる物乞い、うたって踊るのが大層流行する。


「魑魅魍魎」

葉月10日。

何としたことか米価下落する一方。


「笑い般若」

長月20日。

今度はきたな細工の料理が流行す。


「土中の鯉」

霜月晦日。

新和泉町、境町、葺屋町が全焼す。火はさらに新乗物町にも及ぶ


「涙堂」

師走大晦日。

妾の涙堂、中ぐらい。琴。

・・・・・・・・・・・・・・・


琴は人間の心の中にある闇を垣間見た思いがした。

弱さとは無縁であるはずの般若も、

時にはだらしなく表情を弛める(ゆるめる)ことがあるのだ。

それと同時に、人間の幸福は未来永劫に続くものではないとも

感じた。

ある日突然、幸福ががらがらと音を立てて崩れる時がある。

琴について言えば、それは夫の死であろうか。

そこから何かが確実に変わったと思う。

せめて何が起きても潰(つぶ)れない覚悟を

常日頃から心掛けておくべきかも知れない。

乃江は、それを琴に身を以て教えてくれたのだろう。

そう思わなければ、乃江のことはあまりに切な過ぎた。

・・・・・・・・・・・・・・・・


「涙堂(なみだどう)とはいあなる建物にあるや。

人の涙を満々と湛えた湖に浮かぶ東屋(あづまや)のごときものか。

その中に供えるものは、また涙なるか。

しかし、涙堂、この世にあるを知らぬ。

それ、人の心の中にひそかに建立したるものにあらぬか。

涙堂の備え、大きなる人こそ、その悲しみも深しと思ゆ」

・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「無事、これ名馬」


無事、これ名馬 (新潮文庫)無事、これ名馬 (新潮文庫)
(2008/04/25)
宇江佐 真理

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吉蔵は町火消し「は組」の頭。

火の手が上がれば、組を率いて駆け付け、命懸けで火事を鎮める。

そんな吉蔵に、武家の息子・村椿太郎左衛門が弟子入りを志願してきた。

生来の臆病ゆえに、剣術の試合にどうしても勝てない太郎左衛門。

吉蔵の心意気に感化され、生まれ変わることができるのか……。

少年の成長と、彼を見守る大人たちの人生模様を、

哀歓鮮やかに描き上げる、傑作時代小説。

・・・・・・・・・・・・・・・・
お春はひどい難産の末にお栄を産んだ。

一時はお春も命を取られるかと心配したものだ。

「お前さん、あたしが死んだら、この子を立派に育てておくれね。

あたしはこの子さえ無事に生まれたら、死んでも悔やまないよ」

苦しい息遣いでそう言うと、お春は気を失いかけた。

産婆が加減もせずにお春の頬を張った。

「お前が亭主と好きなことをして産む餓鬼だろうが。

最後まで落とし前つけな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・


「女はすっこんでいろ!」

由五郎は却って逆上した。

ところが、すっこんでいろと言われたお栄の眼が三角になった。

着物の裾を捌いて(さばいて)片膝を立てた。

お栄が心底腹を立てた時に出る仕種だ。

案の定、「そうかい、お前さんはそんなに喧嘩がしたいのかい。

上等だ。

やって貰おうじゃないか。

ただし、ここであたしに三行半を書き、

は組の纏持ち(まといもち)の看板を下ろしておくれな。

そうしたら、何をやっても構やしない。

おう、お前さんにその覚悟があるならおやりよ。

さあ、さあ」と、凄んだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「坊ちゃん、男にとって大事なことは何だと思いやす?」

金次郎は試すように訊いた。

「強くなることですか」

「へへえ、わかっていなさるじゃねぇですか。

男はおなごより強くなけりゃいけやせん。

なぜなら、男はおなごを守るさだめで生まれて来てるんですからね。

ところが坊ちゃんは昨日の試合に負けてしまった。

しかもおなごにね。

さあ、そいつはいったい、どうした訳でござんしょう」

「拙者が弱いからです」

「いいや、そうじゃありやせん。

坊ちゃんには気力がねェからです。

また負けるかも知れねェ、そう思って、試合をする前から及び腰に

なっていたからですぜ。

坊ちゃんは試合をする前に、もやは負けていたんでさァ。

こんな馬鹿なことがありやすかい。

ちょっとでも打ち込んでやろうという気にならねェ限り、

これからも勝つことはありやせん。

さあ、この先、坊ちゃんはどうしなさいやす。

負け続けやすかい」

「い、いやです」

太郎左衛門はその時だけ、きっぱりと応えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・


「寝小便はな、心の奥底にある本心がさせるのよ。

いい子ぶっているが、

お前ェは、実は泣き虫の寂しがり屋だろうがってな」

由五郎はつかの間、遠くを見るような眼になって言った。

「確かに拙者は泣き虫の寂しがり屋です」

太郎左衛門は俯きがちになって応えた。

「坊ちゃんは、おっ母様にもっと甘えたいんですよ。

ところが、坊ちゃんには妹も弟もいる。

兄貴らしくしなきゃいけねェ。

それで、つい、気持ちが無理をしちまうんですよ」

由五郎は何も彼も承知している様子で続ける。

さすが寝小便の先輩である。


・・・・・・・・・・・・・・・・

「親馬鹿と笑うてくだされ。

倅は剣術も学問も芳しくござらぬが、

さしたる病もせず、また、人と喧嘩して傷を負うたこともござらぬ。

弟や妹には優しい兄でござる。

拙者は大層苦労して今の役目に就きましたが、

拙者と同じ苦労を倅に味わわせようとは思いませぬ。

いや、この先、倅が大きな失態を演じなければ、

拙者の跡を継いで、しかるべき役職に就くはずでござる。

恐らく倅は真面目にお務めを全うし、

平凡だが倖せな人生を送ることでござろう。

倅を駄馬と悪口を言う御仁もおりまする。

だが、拙者はそうは思いませぬ。

無事、これ名馬のたとえもござる。

倅は拙者にとってかけがえのない名馬でござる」

村椿五郎太はそれを言いたかったとばかり、声を高くした。

お栄と吉蔵は五郎太の親心に胸を詰まらせ、

そっと眼を拭った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

ごろちゃんこと五郎左衛門が7歳から30年後までの成長と

ごろちゃんを見守る火消し組の家族・親戚・近所のひと達のふれあいを、

面白ろ可笑しく、ちょっと悲しく切なく描かれた物語です。

吉蔵一家の一人娘お栄がとても光っています。

お栄にとって悲しい事も起こりますが、

それも人生。

ドラマになったらお栄は、ぜひ尾野真千子さんで!

と思うくらいピッタリな雰囲気です。

最後のごろちゃんの父親五郎太の親心の言葉に

ほろっとしました。

とってもオススメの一冊です!



いつもありがとうございます


宇江佐 真理 「春風ぞ吹く 代筆屋五郎太参る」


春風ぞ吹く―代書屋五郎太参る (新潮文庫)春風ぞ吹く―代書屋五郎太参る (新潮文庫)
(2003/09/28)
宇江佐 真理

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村椿五郎太、25歳。

先祖の不始末といまいち野心に欠ける遺伝子が災いして、

うだつのあがらぬ小普請の身。

目下の目標は、学問吟味に合格して御番入りを果たすことなのだが、

文茶屋での代書屋の内職も忙しい。

そんなのんびり男を焦らせたのは、幼なじみの紀乃。

学ならずんば、恋もままならず――。

どうする、五郎太!

代書屋に持ち込まれる騒動、そして一進一退の恋と学業の行方や如何に・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・


「学問吟味は運の問題もありましょう。

わしも昔は勉強に飽いて、もう嫌だと自棄になったことがあります。

その時、わしの母親は学問吟味は運のものだから

一心不乱に学んだところで希望が叶えられないこともある、

『運は天にあり、牡丹餅は棚にあり』ぐらいの気持ちで

臨めばよいのだと申しました。

仮にそれが通らなかったからといって人生おしまいではない、

別の道がある、とな。

わしは母親の言葉でいっぺんに気が楽になったのです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この物語の続きがありました。

「無事、これ名馬」。

五郎太と紀乃の息子が登場します。

これがまた・・・面白くて(笑)




いつもありがとうございます。

宇江佐 真理 「余寒の雪」

余寒の雪 (文春文庫)余寒の雪 (文春文庫)
(2003/09)
宇江佐 真理

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男髷を結い、女剣士として身を立てることを夢見る知佐。

行く末を心配した両親が強引に子持ちの町方役人と祝言を挙げさせようとするが―。

幼子とのぎこちない交流を通じ次第に大人の女へと成長する主人公を描いた表題作他、

市井の人びとの姿を細やかに写し取る短編集。

中山義秀文学賞受賞の傑作時代小説集。

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1.紫陽花

 元遊女で今は太物商「近江屋」の内儀になっているお直が、
ついに苦界から抜けられないまま死んだ遊女梅ケ枝の
野辺の送りに立ちあう・・・
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2.あさきゆめみし
 
「しかし、若旦那が金比羅亭に通ってらしたのは、
あれは何だったんでしょうね。
今じゃ狐に抓まれたような心地ですよ」
「あれはねえ・・・」
正太郎は独り言のように呟いた。
あれほど夢中になっていた気持ちに正太郎自身も
説明がつけられなかった。
「夢を見ていたんだろうよ」
「へ、夢ですか」
「そうさ。だって夢はいつかは覚めるものだもの」

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3.藤尾の局
 
今の自分は備前屋という商家の女房である。
藤尾の名はとっくに捨てたつもりだった。
しかし、息子達と微かながら和解の兆しが見えたのは、
その藤尾であった頃の逸話からであった。
最初は藤尾であったことで息子達から疎まれたのに・・・。

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4.梅匂う
 
番傘を拡げ、自宅に踵(きびす)を返した時、
ふと花の香りがした。
あの時の香りだ。大滝に初めて会った時に誘われた香りである。
隠居に譲った梅の鉢が雨に濡れながら、
植木棚にちんまりと置かれていた。
それが提灯の灯りにぼんやりと照らされていた。
もう、花はあらかた落ちて、
最後の一つがかろうじて咲いている。
花は隠居の供養とばかり、かぐわしい香りを辺りに振り撒いているのだろう。
助松はその香りを胸一杯に吸い込んだ。
大滝の香りだと思った。

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5.出奔
 
「兄はわたくしのことをきっかけに仕官を夢見ていたようでございます。
乱暴者で昔から両親に心配っさせてばかりおりました。
ですから勝蔵様がわたくしの様子を見にいらっしゃった時も
すげなく追い返してしまったのです。」

「わたくし、兄が亡くなっても少しも悲しいとは思いませぬ。
勝蔵様のことばかりが悲しく思い出されます。」

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6.蝦夷松前藩異聞
 
栄吉は自邸に貯蔵していた食料をニシパに分け与えた。
ニシパは和人は嫌いだが栄吉とその工藤は好きだと世辞を言って帰った。
栄吉の胸は久々に温かいもので満たされた。
時がすべてを解決する。
その気持ちは栄吉の中で揺るぎなかった。

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7.余寒の雪
 
「何ゆえ、武士の魂である刀を放り出された?」
「それは剣を捨てたという意味でござるか?」
「知佐殿」
乱暴に腕を取られた。
知佐は自分の二の腕を掴んだ俵四郎の力にうっとりとなった。
それは先刻、真剣に向き合った時の気持ちと似ていた。
「飾磨殿が迎えにいらしても、国に戻らぬと言うてくれませぬか」
俵四郎のいかつい肩が目の前にあった。
知佐は今しも、その肩に自分の頬を押し当てたい衝動に駆られていた。
そして、実際に俵四郎に抱き寄せられた時、
俵四郎の肩越しに余寒の雪を被る富士の山が見えた。
雪は、知佐の眼に滲みた。
白く、この上もなく白く・・・。

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いつもありがとうございます。

宇江佐 真理 「十日えびす」


十日えびす (祥伝社文庫)十日えびす (祥伝社文庫)
(2010/04/14)
宇江佐 真理

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~人生、なるようになるさ/お江戸日本橋を舞台に、

たくましく生きる母娘を描く人情時代!~

錺職人の夫が急逝し、家を追い出された後添えの八重。

実の親子のように仲のいいおみちと日本橋に引っ越したが、

向かいには岡っ引きも手を焼く猛女お熊が住んでいたからたまらない。

しかも、この鼻摘まみ者の息子におみちがほの字の様子。

やがて、自分たちを追い出した義理の息子が金の無心に現われる。

渡る世間は揉め事ばかり? 健気に暮らす母娘の明日はいかに。

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世の中には様々な揉め事がある。

揉め事なんて、なければそれに越したことはない。

だが、多かれ少なかれ、毎日、揉め事は起きる。

徒らに(いたずらに)くさっているばかりが能ではない。

時には、その揉め事から家族の結束が生まれることもあるのだ。

八重にとって、今がまさに、その時だった。

三右衛門の加護を感じた。

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「本当だね。どこの家もうまく行かないことの

一つや二つはあるものだねえ」

八重は大袈裟なため息をついて言った。

「要は気の持ちようね。

何があっても、その内、何とかなるさと気軽に構えればいいのよ。

落ち込むのが一番駄目ね。」

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「おっ義母さんの気持はよくわかるよ。

でもねえ、よそに引っ越ししても、

そこが必ずしもおっ義母さんの思い通りになるとは限らないのよ。

皆んな、それぞれに言い分がある。

早く言えば、皆んな、他人と折り合いをつけながら生きているのよ。

あたし、そう思う。

小母さんは他人の迷惑を考えない人だけど、

鶴太郎さんは、あの人の息子だったのよ。

小母さんを毛嫌いして引っ越ししたら、

鶴太郎さんが悲しむ。」

おみちは健気に言った。

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いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「彼岸花」


彼岸花 (光文社時代小説文庫)彼岸花 (光文社時代小説文庫)
(2011/08/10)
宇江佐 真理

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<つうさんの家>

家業が傾いたために見知らぬ「つうさん」に

預けられたおたえ。


『年老いて、何か望みがあるかと訊ねられ、

つうさんは、孫と少しの間でいいから一緒に

暮らしたいと洩らした。』


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<おいらのツケ>

父親の病気で隣の梅次とおかつ夫婦に育てられた三吉。


『了簡の甘さがツケを増やし、

にっちもさっちも行かなくなったのだ。

自分も知らずに世の中のツケを増やしていたのだ。

本来は味わうはずだった寂しさのツケ、

しなければならなかった苦労のツケだ。』


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<あんがと>

小さな尼寺の四人の尼と捨てられたおと。


『「みょうみょう、あんがと」

おとは、はっきりとした声で応えた。

ありがとうと言っているのだ。

妙円は、はっとした表情になった。

初めておとから聞いた礼の言葉だった。

尼僧達の胸に感動のようなものが拡がった。』

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<彼岸花>

江戸の小梅村で庄屋を務める家に生まれたおえいは

気の強い母親と一家を切り盛りしていた。

武家に嫁いだ妹は時折物やお金を無心に実家を訪れる。

そんなちゃっかりした妹が許せないおえいは、

ある日母親の不在を理由に妹の頼みを断る。

やがて妹の婚家から届いた知らせは―。

嫁ぎ先でいじめ抜かれた妹に

手を差しのべられなかった姉の後悔・・・。


『おえいは、そっと白い布を引き上げ、

おたかの顔を見た。

おたかの顔はむくみ、灰色になっていた。

そして、閉じた眼から血の涙を流していた。

ここで死ぬのは、さぞ無念であったろう。

おりくが大人になるのは、まだまだ先のことだ。

だが、おえいは思う。

生きていたところで、おたかの苦労は続いていたはずだ。

生きるのが地獄なら、いっそ死んだ方がよかったのか。

おえいにはわからない。』

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<野紺菊>

ぼけた姑を義姉おさわと世話するおりよ。


『今、生きている人間の死を望むことは人の道に

外れることだ。

人は誰でも年を取る。

年を取ればおすまのように、

頭がまともに働かなくなることだってある。

それは、おすまの罪ではない。

そんなおすまの世話をするのは、

残された者のつとめだ。

理屈はわかっているつもりだが、

世の中には、そのつとめと無縁で過ごす者もいる。

天の神さんは不公平だと、おりよは時々考える。』

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「振り向かないで」

親友の夫と不義に耽る(ふける)おくら。


『おくらは、おけいの言葉の意味を胸で反芻した。

おけいが何も知らなければ、

あんな言葉は出る訳がない。

すっかり片がついたといえども、

男は昔の女を、そうそう忘れるものではないだろう。

ついこちらを見てしまった巳之吉をおけいは制したのだ。

振り向かないで。

もしかして、それはおくらに対して言った言葉なのかもしれない。

(おくらちゃん、もういいでしょう?

もう、うちの人に構わないで)

おけいは、そう言いたかったのだろう。』


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蝶が舞うリースの時計
プロフィール

cn7145

Author:cn7145
生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

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