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乙川 優三郎 「霧の橋」

またまた再読です。

何度読んでも感動します。

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・・・・・・・・・・・・・

第7回時代小説大賞受賞作品

主人公は紅屋惣兵衛。

奉公人が数人しかいない紅のみ売る店の主人。

実は惣兵衛は元は武士。

16年前、妻を亡くしてから一人を通していた父親が、

想いを寄せていた小料理屋の女将「ふみ」を庇い

同僚の林房之助に斬られます。

なぜ同僚と斬り合いになったのか・・・

「ふみ」の正体を知る同僚

「ふみ」とは一体誰なのか・・・

謎を残したまま、足が不自由な兄に代わり、

次男の惣兵衛が仇を討つべく放浪の旅へ出て、

十年後江戸で仇を見つけ出し

本懐を遂げますが、謎は分からぬまま。

本懐を遂げ帰郷すると、

兄は公金横領の罪で切腹させられていました。

惣兵衛の家は廃絶。

兄嫁と子供達は実家へ帰った事で絶縁。

惣兵衛は領外追放。

この先の見通しもなく江戸へ戻る惣兵衛。

放浪の日々を送っていたある日、

紅屋の一人娘「おいと」を暴漢から救った事が縁で結婚し、

紅屋の婿となり刀を捨て商人となります。

それから6年・・・

惣兵衛の商人としての物語が始まります。

父親の死。

父親が想いを寄せていた小料理屋の女将との謎。

紅屋を乗っ取ろうとする大店との闘い。

大店との闘いの中、

惣兵衛が武士を根底から捨てていなかった事が起こり、

夫婦の絆が揺らぎ出します。

夫婦としての信頼と絆は戻るのか。

そこへ父親の想い人「ふみ」の姪から

長年の「ふみ」の思いを綴った手紙を受け取ります。

「ふみ」と父親の関係。

「ふみ」の本当の正体とは・・・

惣兵衛は大店との緊迫した闘いを

協力し合う仲間と乗り切ります。

その矢先「ふみ」が惣兵衛に果し合いを申し込みます。

父親の仇を討たせようとの命がけの申し込み。

惣兵衛は霧が深い朝、

果し合いの場所である橋に向かいます。

惣兵衛とふみの対面の場面から

ラストに向けての描写が素晴らしいです!

感動的で名文です。

霧と橋と夫婦の描写がとても素敵です。

武士とは、商人とは、夫婦とは・・・

男と女。

親と子。

商人としての信用。

乙川優三郎さんの素晴らしい文章表現が目に浮かび

美しい風景となり感動しました。

何度でも読み返したい大好きな一冊です。



いつもありがとうございます
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乙川 優三郎 「むこうだんばら亭」

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江戸での暮しに絶望し、あてどない旅に出た孝助は、
途中で身請けした宿場女郎のたかと銚子へ流れ着いた。
イワシや醤油で賑わうとっぱずれの地で、
彼は酒亭「いなさ屋」を開き、裏では桂庵を営んだ。
店には夜ごと寄る辺なき人々が集う。
貧苦ゆえに売笑する少女、放埒な暮しに堕ちてゆく女……
思うにまかせぬ人生の瀬戸際にあって、
なお逞しく生きようとする市井の男女を描く連作短編集。


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「椿山」の第一章の「ゆすらうめ」の続編。

ここで続編が出て来るとはこの本の解説を読むまで

気付かなかった。

なるほど、「孝助」「たか」の

男と女になれない微妙な関係が

孝助の過去の悔いで理解ができた。

「たか」も孝助から身請けされた身の上で

自分を受け入れてもらえないと思い、

6年もの間一つ屋根の下、

襖一枚隔てた部屋で暮らすことに耐えていたわけだ。

孝助は江戸の場末で姉と営んでいた小さな娼家で

女たちを食い物にして暮らしていた。

ある年、年季の明けた女と

人生を遣り直すつもりで奔走したが

女は結局貧困に喘ぐ肉親のために女郎に戻ってしまった。

見切りをつけた孝助は出奔し女を見捨てた・・・。

見捨てた女の名前が「たか」だった。

淫蕩な商売と金に埋もれてゆく自分がいやで出奔した孝助。

旅の途中で「たか」という宿場女郎を見たとき、

見捨てた女「たか」を思い出さずにはいられない。

女郎の「たか」のどん底の不幸を救うのは心の慰めだった。

それから6年。

たどり着いた港町銚子で「いなさ屋」を、

夫婦になりきれない二人で静かに営んで来た。

物語を通して寂寥とした港町を感じて寒々とします。

果てのない不幸と貧困に見る女の性が

何とも切ない悲しさで途中で読むのやめたくなる程。

最後の章でやっと救われる思いと明るさが味わえて

何とか読み切る。

詩情あふれる文体ですが、

悲しみや悔いに追い込まれそうな救いがたい物語に

誰が悪いわけでもないのに

責めたくなりました・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・

1.行き暮れて
 「でも、まだ終わっていないの、
もったいなくて終われないわね、
命がけで海へゆくのもそう、
あした死ぬとしても、それまでは悔いなく
生きてみたいの、
だから今日したいと思うことをするだけ、
いまさら死に急ぐつもりはありません」

・・・・・・・・・・・・・・

2.散り花
 うまくゆかないときはそんなもので、
ひとつ歯車が狂うと手の打ちようがなくなる。
すがの気力がいつまで続くか分からないが、
あとは見て見ぬ振りをして、
彼女と男の取引に関わらないでいるしか
ないように思われた。
いずれにしても、その手で味をしめた女は
もとに還れないだろう。


・・・・・・・・・・・・・・

3.希望
 「これは親切で言うんだ。
おまえさんは小りこうで目先のことは
何とかするらしい、
だが肝心なことは何ひとつ見ていやしない、
金だけを恃んで(たのんで)
金に縛られている、
だからほかの悦びを知らない、
そういう女は間抜けな男から
小金をせしめていい気になるが、
そのうち金に追われてくたびれてゆく、
そうなりたくなかったら、
まともな男に惚れてみることだな、
おまえさんのちっぽけな世間にも
ひとりやふたりいるだろう、
その男に本当の悦びを教えてもらうがいい」

・・・・・・・・・・・・・・・

4.男波女波(おなみめなみ)
 「生きている人を忘れるほうがむつかしいと思うわ、
泣いても叫んでも会えない苦しさは
同じかもしれないけど、
この世にいると思うと忘れようがないし」
「理屈じゃねえ」
「男の人に許されなくても女は受けとめて
生きてゆくしかないわ、
佐田蔵さんは男じゃない、
死んだ人に振り回されてどうするのよ」

・・・・・・・・・・・・・・・

5.旅の陽射し
 夫婦の行き着くさきは見えてしまったが、
そこへ向かう日々はこれまでとは
違うものになるだろう。
その証に意伯は見栄も誇りもかなぐり捨てて、
泥臭い素顔をさらしている。
死と隣り合わせの生を見つめているとしたら、
ある意味で残された月日は彼の一生にも
匹敵するに違いない。
だとしたら、このまま少しでも長く二人のときを
生きたいと願った。

・・・・・・・・・・・・・・

6.古い風
 外へ出ると、思ったよりも月が明るく、
川風も柔らかかったが、
彼女は行くあてのない気持ちで歩いていった。
ひとつのことが終わり、
ほっとした気持ちの裏に、
うそ寒い孤独が張り付いている。
いまさら悔やんでも仕方がない、
と気を引き立てて歩きながら、
彼女はこれで元に戻るだけだと自分に言い聞かせた。
何か違うとすれば、
このさきずっと住まうことになるひとりの家が
以前よりも冷たく、恐ろしく感じられることであった。

・・・・・・・・・・・・・・

7.磯笛
 彼は妻を亡くしてからの余白の人生が、
ここへきて急に終わりに近づいたように感じて、
身辺を綺麗にしたいという思いに追われていた。
働き者だった妻の霊がそのときを
知らせてきたのかもしれない。

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8.果ての海
 女が女を生きて失うものが、
たかにははじめからなかった。
情熱の向かうところへ身を投じられる月日が
女の若さなら、彼女ははじめから老女も同然であった。
肉体の若さが最も自然に光るころ、
彼女は檻の中にいた。
生きていることだけが人生の幸運であった。



いつもありがとうございます

乙川 優三郎 「磯波」(武家用心集より)


武家用心集 (集英社文庫)武家用心集 (集英社文庫)
(2006/01/20)
乙川 優三郎

商品詳細を見る


1.田蔵田半右衛門
2.しずれの音
3.九月の瓜
4.邯鄲(かんたん)
5.うつしみ
6.向椿山
7.磯波
8.梅雨のなごり

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7.磯波

神道流の道場主であった父親が後継者と決めたのは
奈津の想い人、志水直之進であった。
自然長女である奈津と直之進が夫婦となるはずだったが、
何事も姉の幸せを先に欲しがる妹五月が
偽りの企みを言い出し奈津から直之進を奪い結婚する。
奈津は家を出て裏磯が眺められる小高い丘の中腹に
女塾を開き、地元の娘たちにお稽古事を教えて
女一人で暮らしていた。
ある日、妹五月が後妻の縁談を持ちかける。
妹は姉の想い人を奪い結婚したが夫直之進とは疎遠・・・
夫の心の中にはいまだに姉の面影があると奈津に言う・・・
三人の子供を設けて幸せであるはずの五月だが、
夫婦としての支え合い、寄り添う本当の幸せは、
味わえていなかった・・・
奈津は後妻の縁談に困惑するも、
昔の想い人の面影を秘めることは、
奈津の中でようやく終わろうとしていた。

『彼女は開けたままの窓を思い出し、
次の間へ立ってゆきながら、
何気なく家の中を見まわした。
潮風の染み込んだ壁や梁や柱はいつもそこにあって
無意識に親しんできたが、
見るうちに他人の家で目覚めたような違和感を覚えていた。
それでいてひとつひとつのもにには、
誰よりもよく知っている心安さがあった。
女ひとりの心細さから眠れない夜、
梁には思いの丈をそそぎ、柱には苛立ちをぶつけた。
壁の傷みは思い乱れた跡だろう。
不意にそのことに気付くと、息苦しい感情の高まりを覚えた。
それまで家というものに執着したことがなかったので、
古びた壁や柱にそっと手を当てて、
何か切々と詫びたい気がするのだった。
縁談の成否にかかわらず、
家はいずれ主を失うことになるだろう。
長い間寄りかかってきたものを捨てる痛みの予感に、
彼女はいつかしら涙ぐんでいた。』




いつもありがとうございます

乙川 優三郎 「冬の標(しるべ)」

冬の標 (文春文庫)冬の標 (文春文庫)
(2005/12)
乙川 優三郎

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幕末、小藩の大番頭の娘・明世は南画の自由な世界に魅せられるが、
世間の仕来たりは女子が絵を描くことを許さない。
結婚して夫と姑に仕えることを強いられた二十年を経て、
明世はついに自らの情熱を追う決心をする・・・。

封建の世に真の自立の道を歩もうとする一人の女性の、
凄まじい葛藤と成長を描いた感動長編。

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「世間の常識からすれば、身勝手な悪い嫁でございます」

明世は自然に詫びる目を向けた。
馬島に嫁して二十年、自ら非を口にしたことはなかったが、
そでが折れると言葉はすらすらと出た。
彼女はそでのために何をしてやれるだろうかと思い、
何もしてこなかった自分に気付いた。

「わたくしもそういう目でしか見られませんでした、
それがこんな体になって見たくもない先が見えてくると、
いったい自分は何をして生きてきたのかと考えてしまいます、
嫁いでからというもの家にしがみつき、
夫にしがみついて、ほかのことを考えるゆとりすらありませんでした、
夫がこうしろと言えば何も疑わずに従い、
するなと言えば子供のように恐れて従ってきました、
その結果、夫がいなくなると自分という女もいなくなってしまい、
わけもなく恐ろしく感じたりもしました」

「それが女子というものかもしれません、
もしも絵の世界を知らなければ、
わたくしもそういう生き方しかできなかったでしょう」

そでの言葉に真情を感じるせいか、
明世は自分の言葉も苦にしなかった。
彼女はできるだけ素直にそでの気持ちに応えようとした。

「世の中の仕組みがそうなっていますし、
女子にできることは限られています、
ですが葦秋先生や光岡さまのように勇気をくださる殿方もいらっしゃいます。
わたくしはそういう人に恵まれ、教えられてきました。
よかったのか悪かったのか、
未だに迷うことばかりですが、絵を描くことで救われます」

「描きなさい、好きなだけ描くといいわ」
そでは言うと、庭を満たす陽の濃さに目を当てながら、
どこかで思い切らなければ月日は過ぎてゆくばかりだと付け加えた。



いつもありがとうございます。


乙川 優三郎 「五年の梅」

五年の梅 (新潮文庫)五年の梅 (新潮文庫)
(2003/09/28)
乙川 優三郎

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5編収録。
1.後瀬(のちせ)の花。
2.行き道。
3.小田原鰹(おだわらがつお)
4.蟹(かに)
5.五年の梅。
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5.五年の梅

 友を助けるため、主君へ諫言(かんげん)をした
近習(きんじゅう)の村上助之丞。
蟄居(ちっきょ)を命ぜられ、
ただ時の過ぎる日々を生きていたが、
ある日、友の妹で妻にとも思っていた弥生が、
頼れる者もない不幸な境遇にあると耳にし・・・。

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今作品の物語に共通するのは、
自分の不運や不幸を相手のせいにして、
自分を見つめないと言う事。
その為にかけがえのない人を失うことになる・・・
そのギリギリのところでやっと身の振りを反省し、
取り返しがつかないところをやり直そうと
踏ん張ります。
未来が厳しい事や、過去への懺悔を背負いながら、
これかれも生きて行こうとする姿にも
強さと潔さを感じる作品群でした。

お互いを思いやれたならどんなにか幸せだった事だろう・・・
失って初めてわかる切ない物語ばかりでしたが、
それでも未来への光も描いているのが救われます・・・


いつもありがとうございます。

乙川 優三郎 「霧の橋」

霧の橋 (講談社文庫)霧の橋 (講談社文庫)
(2000/03/15)
乙川 優三郎

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刀を捨て、紅を扱う紅屋(べにや)の主人となった惣兵衛(そうべえ)だったが、
大店(おおだな)の陰謀、
父親の仇(かたき)の出現を契機に武士魂が蘇った。
妻は夫が武士に戻ってしまうのではと不安を感じ、
心のすれ違いに思い悩む。
夫婦の愛のあり方、
感情の機微を叙情豊かに描き、
鮮やかなラストシーンが感動的な傑作長編。

第七回時代小説大賞受賞作品。


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「ここに父の刀があります」と言った。
「商人のわたくしにはもう用がないものです、
ここへ置いてゆきますので、
父と思い、どうかあなたの側へ置いてあげてください、
そのほうが父も喜ぶでしょう」

そして静かに刀を置くと、これでお別れいたしますと言った。
それでいいと思った。
もう二度と刀を取ることはないだろうと思う一方で、
どうしても捨てられずにいた過去の置き所が
ようやく見つかったような気がしていた。


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短編集が多い乙川作品ですが、
こちらは一冊長編です。

とにかくラストの描写が素晴らしいです!
感動的で名文です。
霧と橋にちなんでの夫婦の描写がとても素敵です。
超おすすめ作品です。
この作品は「生きる」の次に読んだ作品ですが、
こちらの作品を読んで以後、
乙川作品は全て読んでいます。
それ位、乙川さんの作品は素晴らしいと思っています。

装丁は日本画家「小村雪岱(こむらせったい)」。
泉鏡花の「愛艸集(あいそうしゅう)」の
見返しに使われたものだそうです。

見返しとは・・・
 表紙と裏表紙の内側の部分に貼られる紙。
中身を保護することと、表紙と中身の接着を補強する意味があます。



いつもありがとうございます。

乙川 優三郎 「生きる」

生きる (文春文庫)生きる (文春文庫)
(2005/01)
乙川 優三郎

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この装丁の書は墨の造形作家村田篤美さん。
素晴らしい書ですよね。
乙川さんの本は、装丁がいつも綺麗で大好きです。

さて本作品の「生きる」は、
1.生きる
2.安穏河原
3.早梅記
の三作品収録。


再読しました。
読み直す度に新しい感想が湧きます。

1.生きる

 亡き藩主への忠誠を示す「追腹」を禁じられ、
生き続けざるを得ない初老の武士。
周囲の冷たい視線、嫁いだ娘からの義絶。
そして息子の決意の行動・・・。
惑乱と懊悩(おうのう)の果て、
失意の底から立ち上がる人間の強さを格調高く描いて
感動を呼んだ直木賞受賞作品。

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2.安穏河原

「この眺めをようく覚えておくんだよ」
彼は言って、胸の底から吐息をついた。
娘はようやく安心したのか団子を食べている。
「いいね、ここから本当のことがはじまるのだから・・・」
言いながら、織之助は自分自身にも支えとなるものを
見つけた安堵に心が緩むのを感じた。
人が生きてゆく限り、不運や障害も生まれ続けて絶えることはないだろう。
童女ですら戦っている。
生きている証からも逃れようとして、
織之助は長い間、背を丸めて生きてきたような気がした。


・・・・・・・・・・・・・・・
3.早梅記

「わしには堪えられそうにない、それなのに何もできない」
「時とともに忘れられることもあります」
「しょうぶは強いな」
「いいえ、変われないだけです」
彼女はそう言ったが、喜蔵よりも遙かに気持ちはしっかりとしていた。
貧しい足軽の家に生まれ、
幼いときから思うようにならないほうが当たり前の
境遇に生きてきたから、自力で立ち直る術を知っているのだろう。
喜蔵が味わってきた貧しさとは比較にならない生い立ちが、
彼女を強くしたようであった。




いつもありがとうございます。

乙川 優三郎 「椿山」

椿山 (文春文庫)椿山 (文春文庫)
(2001/11)
乙川 優三郎

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1.ゆすらうめ 
  
  その眼で成れの果てまで見届ける気にはなれなかった。
  おたかにしろ、できることなら見られたくはないだろう。
  案外あれが精一杯の虚勢ではなかったろうか。
  だがそれももうたくさんだと思った。
  いればいるだけ堕ちてゆくしかない女たちを見るのは
  心底たくさんだった。
  (こんなところにいたら・・・)
  自分も堕ちるだけだと思いながら、
  孝助はふと、散り尽くしたゆすらうめを思い浮かべた。
  根づく場所さえ違えば見違えるほど生き生きとするだろうに、
  ここではひとりで散ってゆくしかない。
  そうと知っていながら、おたかも戻ってくるしかなかったのだろう。
  


2.白い月
 
 (もう一度だけ)
  言い暮らしてきたはずの言葉が胸の中で
  きらきらと輝きはじめたのを感じながら、
  おとよはふと、案外とんでもない賭けをしているのは
  自分かも知れないと思った。


3.花の顔(かんばせ)

 白髪に凍り付いた雪を丁寧に除いてやりながら、
 さとはたきの最期の一念を見たような気がしていた。
 幻のように仄かに光る雪明りの向こうに、
 たきは自分の辿ってきた暗い道を見ていたのかも知れない。
 惚けなければ素直に礼も言えぬほど、
 家に縛られ、辛い思いをしてきたのだろう。
 だとしたら、せめて辛かった分だけ、
 老いて惚けて何が悪いだろうか・・・。
 (おかあさまは・・・。)
 きっと、わたくしが同じ道を辿らぬようにと念じて、
 救ってくださったに違いない。
 そう思ったとき、さとはようやく姑と心が通じたような気がして、
 深い溜息をついた。


4.椿山

 小藩の若者たちが集う私塾・観月舎。
下級武士の子・才次郎はそこで、道理すら曲げてしまう身分というものの
不条理を知る。
「たとえ汚れた道でも踏み出さなければ・・・」
苦難の末に権力を手中に収めたその時、
才次郎の胸に去来した想いとは・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつもありがとうございます。

乙川 優三郎 「武家用心集」

武家用心集 (集英社文庫)武家用心集 (集英社文庫)
(2006/01/20)
乙川 優三郎

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不自由な武家社会の中で、
不測の事態を切り抜けてゆく人々を描く小説集。

・・・・・・・・・・・・・・・

1.田蔵田半右衛門
2.しずれの音
3.九月の瓜(うり)
4.邯鄲(かんたん)
5.うつしみ
6.向椿山(むこうつばきやま)
7.磯波
8.梅雨のなごり

・・・・・・・・・・・・・・・

武家用心集とは、
武家に生まれた男女が窮地に陥らぬように
普段から心掛けるべき注意集という
意味だけではない。
武家に生まれた男女および妻女が
どのような心配りや覚悟を持って、
どのような人生を全うしたかというカタログなのだ。
(解説:島内景二)

・・・・・・・・・・・・・・・・

2.しずれの音

黒松の枝には三日三晩降り続いた雪が積もってい、
寿々が立ち止まって喘いでいると、
不意にどすんと重い音が聞こえた。
垂れ(しずれ)だった。

「人でなし」
そう言われたような気がして寿々ははっとした。
声は自分の旨の中から聞こえたようである。
すると卒然と胸が苦しくなって動けなくなった。

(覚悟が足りなかったのだわ・・・)
やがてそう思い当たると、
そこにいる自分が情けなく、
いつだったか冬田に取り残されて
茫然としていた鷺が思い出された。

そもそも一月などという軽い気持ちで引き受けたのがいけない、
と思ったが、その結果していることは錬四郎や房と
何も違わないのだった。
はじめから人ひとりの余生を預かる覚悟があれば、
自分も周助も錬四郎夫婦に振り回されることはなかっただろう。
いまのいままで夫や兄を責めてきた自分自身の
不心得に気付くと、
彼女はどうすればよいのか分からなくなって放心した。

「どうしたの、行っておくれ」
と母の声が聞こえている。
「できません」
「だったら、ここへ捨ててお帰り」
「できないわ」

寿々は言い退けて、じっと林の暗い道を見つめた。
そこを抜ければ勘定組の組屋敷だったが、
どうしても行く気にはなれなかった。

どれほどそうして立ち尽くしていただろうか、
ゆっくりと荷車の向きをかえて、
彼女は来た道を引き返した。
そのとき吉江が何か言って泣き出したようだったが、
かまわずに歩き続けた。

ややあって、寿々は胸の中で何かが大きな音を立てて
弾けたような気がした。
近付いてくるのは夫の周助である。
役目がら雪道には馴れているはずが、
よほどあわてているらしく、
勢いのわりには足下がふらついている。

凝然として見つめていると、
周助はまた逆さまになるほど滑って転んだが、
寿々の目にそれは少しも滑稽には映らなかった。

彼女が驚いている間にも
周助はみるみる近付いてきた。
やがて少し離れたところで立ち止まると、
喘ぎながら何か言おうとしたが、
息が切れたらしく言葉にはならなかった。
城からなりふりかまわずに駆けてきたのだろう。

「どれ、わしが代わろう」
ようやく歩みよって、
そう言ったとき、寿々は荷車の梶棒を握りしめて
立ち尽くしながら、
どうしようもなく溢れてくる涙を流れるままにしていた。

急に喉の奥が凍りついてしまい、
旦那さま、と言おうとした声はどこかへ消えて、
かわりに何かしら甘く澄んだものが
胸の中から溢れてくるようであった。


・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの物語を読んでいると、
誰のどの作品だったか思い出せない時があります。
この「しずれの音」は、
乙川さんの作品の中でも忘れられない物語だったのですが、
題名を思い出せずにいて、今回やっと巡り逢えました。

寝たきり状態になってしまった母親を
兄夫婦が妹である寿々(すず)に面倒を押し付けます。
ひと月が一年と理由をつけられ延ばし延ばしにされ、
夫である周助の我慢も切れ、
母を兄の所へ連れて行けと寿々に言います。
寿々も早くに亡くなった父の代わりに
苦労をし続けた母親の面倒を拒む兄に対して
非情であると思いながらも、
母を思って何とか我慢をしていましたが、
いよいよ兄の元へ送り返すことになり、
母を荷車に乗せて寿々一人で雪道の中を運びます。

母吉江は、自分が息子夫婦の所でも邪魔にされ、
娘宅にいれば寿々夫婦の仲もうまくいかない事に
心を痛め、寿々の夫周助に息子の所へ
送り返してくれるよう頼むのでした・・・。


荷車を引きながらの寿々の行動と思いが大変印象深いです。
母親を思う時、枝に積もった雪がどすんと落ちるしずれの音が、
寿々にとって覚悟を決めさせた音になります。

美しい言葉の表現が随所に出てくる
素晴らしい短編集でした。




乙川 優三郎 「生きる」





「生きる」で直木賞受賞した乙川さんの短編時代小説。

この作家の本は、いつも装丁が凝っている。

「乙川 優三郎」と言う名前と字もとても好きです。

この方の短編が好きです。



乙川さんを知ったきっかけは、

いつぞや書店で、

「生きる」の本を探していた高齢のご婦人に向かって、

店員さんが面倒くさがって後回しにしているのを見かけ、

いたたまれずご婦人の探し物を見つけて渡したら

「まぁ!ご親切にありがとうございます。

友人に贈りたいと思いまして、二冊購入します。」と言っていたので、

興味が湧き、自分も買って読んだのがきっかけで、

乙川さんファンになりました。

あの時のご婦人に感謝です!





蝶が舞うリースの時計
プロフィール

cn7145

Author:cn7145
生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

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