第17回(1989年) 泉鏡花文学賞受賞
川沿いの澪通りの木戸番夫婦は、
人に言えない苦労の末に、深川に流れて来たと噂されている。
思い通りにならない暮らしに苦しむ人々は、
この2人を訪れて知恵を借り、生きる力を取りもどしてゆく。
傷つきながらも、まっとうに生きようとつとめる市井の男女を、
こまやかに暖かく描く、泉鏡花賞受賞の名作集。
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1.深川澪通り木戸番小屋
2.両国橋から
3.坂道の冬
4.深川しぐれ
5.ともだち
6.名人かたぎ
7.梅雨の晴れ間
8.わすれもの
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5.ともだち
「おもんさん・・・」
おすまは、お捨のいることも忘れて駆け寄った。
「どうしたのさ。だらしないじゃないか」
知らぬ間に、昔馴染みに会ったような言葉で話しかけていて、
懐かしい人にようやくめぐり合えたような涙がこぼれてきた。
「勘弁しておくれよ」
おもんも、高い熱に息をはずませながら親しげに言った。
「風邪をこじらせちまってさ。ずいぶん待ってくれたんだってね」
「そうさ。来られないのなら、伜さんにでもことづけを頼みゃいいじゃないか。
そうしたら、すぐに見舞いに来られたのに」
「それも、勘弁しておくれよ」
おもんは弱々しく笑った。
「伜なんざいやしない。知らせようがなかったんだよ」
「一人ぽっちだったのかい、おもんさんも」
おすまは遠慮なく涙をこぼしながら、おもんの涙を拭った。
おもんの涙も際限がなかった。
「家ん中を見てごらんよ。何もありゃしないだろ。
着物をとっておいても、くれてやる娘はいない。
金足の簪だって、おっ母さんのかたみだと眺めてくれる者はいやしないよ。
そう考えると、何もかもばかばかしくなっちまってね。」
「わかるよ。わたしの家だって、空っぽだもの」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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