土用の入りが近づき、澪は暑気払いに出す料理の献立に
頭を悩ませていた。
そんなある日、戯作者・清右衛門が版元の坂村堂を連れたって
「つる家」を訪れる。
澪の料理に関心した食堂楽の坂村堂は、
自らが雇い入れている上方料理人に是非この味を思えさせたいと請う。
翌日、さっそく現れた坂村堂の料理人はなんと、
行方知れずとなっている、天満一兆案の若旦那・佐兵衛と共に
働いていた富三だったのだ。
澪と芳は佐兵衛の行方を富三に聞くが、
彼の口から語られたのは耳を疑うような話だった・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
<主な登場人物>
澪:幼い日、水害で両親を失い、大阪の料理屋「天満一兆庵」奉公。
今は江戸の「つる家」で腕をふるう若き料理人。
芳:もとは「天満一兆庵」のご寮さん(女将)。
今は澪とともに暮らす。
行方知れずの息子、佐兵衛を探している。
澪の食材を手に入れる為に宝物の簪を売って手助けする。
後に種市が簪を取り返してくれるが・・・さらに失う事に・・・
種市:「つる家」店主。
澪に亡き娘つるの面影を重ねる。
亡き娘が、かどわかされ亡くなったのは
自分が博打で家族をないがしろにした為との自責の念があり、
澪を娘として、ふきと健坊を孫のように可愛がる。
ふき:「つる家」の下足番の少女。
弟の健坊は「登龍楼」に奉公中。
澪を実の姉のように、芳を母親のように慕う。
りうばあさんを恐れている。(歯がないのに何でも食べるから)
おりょう:澪と芳のご近所さん。
「つる家」を手伝う。
夫は腕のよい大工伊佐三、子は太一。
太一は火事で両親を失い、おりょう夫婦に引き取られる。
声を出せない。
小松原:謎の侍。
辛口ながら澪に的確な助言を与える。
澪の想い人。
永田源斉:御典医・永田陶斉の次男。
自身は町医者。
大店の娘「美緒」から想われ、婿にと請われるも、断る。
采女(うねめ)宗馬:澪と対抗している高級料理屋「登龍楼」店主。
野江:澪の幼馴染み。
水害で澪と同じく天涯孤独となり、
今は吉原「翁屋」であさひ太夫として生きている。
澪がつる家を火事で失った時に、野江が又次を通し、
十両を出して再起の援助をする。
清右衛門:売れっ子戯作者。
澪の料理を褒めるも皮肉も忘れない「つる家一」のお客。
りう:ふきを紹介した口入屋の店主の母親。
若いころに料理屋で働く経験あり。
「つる家」を手伝いながら客あしらいと適格な助言に
何度も澪は助けられる。
一本も歯がないが、歯茎だけで固いせんべいもバリバリ食べる。
美緒:大店の我がままお嬢様。
町医者源斉に片思い。
大奥に見習い奉公する為、澪に料理を教えてもらう。
又次:吉原「翁屋」花魁の野江に尽くす料理人。
野江と澪の仲を取り次ぐ役目。
澪に頼まれ月に三回「つる家」を手伝う。
・・・・・・・・・・・・・・・・
澪ちゃん。
澪を呼ぶ、その声。
耳に残る幼い声とは違う。
なのに、切なくなるほどに懐かしく感じる。
澪は奥歯を噛みしめて涙を堪える。
白狐は被っていた面を少しだけずらした。
切れ長の美しい目が笑っている。
漆を刷いたように潤んだ黒い瞳。
ああ、やっぱり野江ちゃんや。
そう言ったつもりが声にならない。
涙が双眸から吹き出して、澪は堪らず野江に縋った。
脳裏に、あの夏の大阪の光景が蘇る。
ともに渡った天神橋。
新町、花の井。東横堀川に刻まれる水紋。
幸福な情景の中で、幼い野江と澪とが笑っている。
逢いたかった、ずっと逢いたかった。
ずっとずっと、逢いたくて、逢いたくて。
野江ちゃん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
遠く離れて生きる友ふたり。
片や、春に芽吹く樹を眺めて相手を想い、
片や、日暮れの雲を見て相手を想う・・・
眼下、遊里にぽつぽつと灯が入り始めた。
あの何処かに野江が居て、
同じ雲を見上がているのだ。
彼方から、澪の名を呼ぶ野江の声が、
確かに耳に届いた・・・。
いつもありがとうございます。