半村 良 「すべて辛抱 上・下」


貧農の子亥吉と捨て子の千造は
青空寺子屋で読み書き躾を習い、
十一歳にして江戸に発った。
薬種問屋に奉公した亥吉の働きぶりは、
若旦那の認めるところとなる。
多角経営の一環として始めた小料理屋に派遣され、
ここでも並々ならぬ腕を発揮、
ついには店の運営までまかされるようになり…。
半村良、最後の長編。
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「人にはそれぞれ相性というものがる。
根を据えて生きる時、
どのような相手にも、
まず自分との相性を見よ。
相性とは好き嫌いじゃ。
同じことをされても、
許せる相手と許せぬ相手がある。
好きか嫌いかを見る時は、
まずおのれが平静でのうてはならぬ。
まず平静であれ。」
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天明から寛政にかけては、
そうした時代の境目で、
亥吉などはその境目に現れた人間だったのだ。
それだけに、亥吉などは時代の先端に立ちながら、
やたらとうしろに引っこみたがり、
新しい商売をひとつ摑んでも、
すぐそれを手放して人に任せてしまうのだ。
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亥吉などが時代の先端に立ちながら、
その流行から常に逃げようとする構えを
示したのは、
まだ古い権威層の圧力が、
世の中の上層にかぶさっていたからにほかならない。
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「考えよう。
搾り出そうじゃないか。
うまく行かなくてもいい。
最初は当たらなくても仕方ない。
でも考えを続けて行くうちには、
なにかしら突き当たるもんさ。
今まで俺たちは、途切れ途切れに考えていたんだ。
売れるものを考え出すのが
俺たちの本当の仕事だったんだ。
売れるものを考えだしたら、
それで儲けなんかどうでもいいんだ。
どうだい、こういう考えで生きて行かないか」
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商売は儲かりはじめた時が勝負。
手にした銭の多さで人間が変わってしまうことがあるのだ。
銭の多さを追い求めるな。
馴染みの客の多さこそ、
商売の成否をきめる要所なのだということが、
亥吉には肝に銘じて分かっていたから、
あまり派手な商売を探す気にはなれなかった。
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あれを寺子屋と呼ぶのは俺と千造だけなのだ。
崩れかけた建物のそばで、
雨の日も風の日も、
老人から読み書きを習い、
しまいには難しい論語の意味や
世の道理まで教わったのが、
遠い日の思い出から、
つい昨日のことのようによみがえる。
一緒にいたのは千造だけなのだ。
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長い話だった。
文字も書けないころから、
野宿同然の学問所で成長をとげ、
何泊かして江戸に出て、
人込みに紛れて大人の知恵をつけ、
商売を覚えて金を稼げるようになり、
お互いに寄り掛かり合いながら暮らして
成功者の仲間入りを果たしたのだ。
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亥吉と千造の一代記です。
それにしてもとにかく次から次と商売を変える二人。
先見の明があるので、
常に先の流行るものを取り入れる商売。
取りかかりは大変でもすぐに繁盛し、
繁盛すれば真似る商売人が現れる。
そうすると、二人はもうその商売には見切りをつけて
次の流行る商売に掛かる。
成功ばかりではなく騙され財産を全て失う事もあった。
また一から出直す時もクヨクヨせず女房と共に頑張る亥吉。
そんな亥吉に生涯二人で商売に励もうと手伝う千造。
やっと儲けが出た頃に銭儲けばかりを考えるのではなく、
人の役に立つような仕事をしたいと長屋作りをする。
みすぼらしい古い長屋を綺麗に立て直し
住人には常に身綺麗にするよう説く。
自分の身体が綺麗だと
規則正しく生活をするようになり、
仕事を真面目に律儀にするようになる。
結果、仕事ぶりも上向き、暮らしぶりも上向き、
家族も仲良く穏やかに暮らせるようになる。
亥吉も千造も貧しい幼少を過ごしたからこその考えに
間違いはありませんでした。
物語を通して一代記となると、
「おしん」や「細腕繁盛記」
はたまた「あかんたれ」のような
苦労・いじめ・裏切り・挫折・みじめさ・・・
などのような描写が予想されたのですが、
ジメジメした雰囲気は全く描かれていませんでした。
亥吉と千造の周りには二人に見合う仲間が集まります。
家族共々信頼できる人ができた時などは、
常に謙虚に相手を褒め・感謝する表現に感動しました。
江戸から明治に代わる時代の大きな境目で生きた亥吉と千造。
最後の最後まで表にでしゃばらず
穏やかで過ごした大変素晴らしい人生を感じました。
いつもありがとうございます
