乙川 優三郎 「霧の橋」
![]() | 霧の橋 (講談社文庫) (2000/03/15) 乙川 優三郎 商品詳細を見る |
刀を捨て、紅を扱う紅屋(べにや)の主人となった惣兵衛(そうべえ)だったが、
大店(おおだな)の陰謀、
父親の仇(かたき)の出現を契機に武士魂が蘇った。
妻は夫が武士に戻ってしまうのではと不安を感じ、
心のすれ違いに思い悩む。
夫婦の愛のあり方、
感情の機微を叙情豊かに描き、
鮮やかなラストシーンが感動的な傑作長編。
第七回時代小説大賞受賞作品。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ここに父の刀があります」と言った。
「商人のわたくしにはもう用がないものです、
ここへ置いてゆきますので、
父と思い、どうかあなたの側へ置いてあげてください、
そのほうが父も喜ぶでしょう」
そして静かに刀を置くと、これでお別れいたしますと言った。
それでいいと思った。
もう二度と刀を取ることはないだろうと思う一方で、
どうしても捨てられずにいた過去の置き所が
ようやく見つかったような気がしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
短編集が多い乙川作品ですが、
こちらは一冊長編です。
とにかくラストの描写が素晴らしいです!
感動的で名文です。
霧と橋にちなんでの夫婦の描写がとても素敵です。
超おすすめ作品です。
この作品は「生きる」の次に読んだ作品ですが、
こちらの作品を読んで以後、
乙川作品は全て読んでいます。
それ位、乙川さんの作品は素晴らしいと思っています。
装丁は日本画家「小村雪岱(こむらせったい)」。
泉鏡花の「愛艸集(あいそうしゅう)」の
見返しに使われたものだそうです。
見返しとは・・・
表紙と裏表紙の内側の部分に貼られる紙。
中身を保護することと、表紙と中身の接着を補強する意味があます。
いつもありがとうございます。

終戦の日
本日は、終戦の日。
昭和20年8月15日が終戦ですから、
68年もたちますね。
母も戦争体験者です。
日本人ですが、台湾で生まれ育った母は、
終戦と同時に日本へ引き上げて来ました。
自宅に二度被弾の経験を持っています。
一度目は全てを粉々に破壊する爆弾。
防空壕に避難してかろうじて助かった母一家でしたが、
2㍍以上もの土砂が防空壕に被り、
近所の人達に掘り出されたそうです。
二度目は燃やして破壊する焼夷弾。
これでほとんどの思い出の品物を失ったそうです。
まだ若かった母が受けた衝撃は大きく、
戦争の話となると口が重くなります。
終戦を迎え日本へ引き上げて来て右も左も分からず、
取りあえず祖父の実家へ向かったそうですが、
混乱の中、大変秩序良く誘導し世話をしてくれたのが、
多くの学生さんがただったそうです。
積極的に動きお世話する姿を見て、
自分達の大変さも乗り越えられると思ったそうです。
不思議と学生さん達に悲壮感がなく、明るかったそうです。
「あ~戦争はもう終わったんだ。
これからは空襲警報や爆弾に怯えることはないんだ・・・」
というのが母が実感した終戦の日だったそうです。
いつもありがとうございます。
昭和20年8月15日が終戦ですから、
68年もたちますね。
母も戦争体験者です。
日本人ですが、台湾で生まれ育った母は、
終戦と同時に日本へ引き上げて来ました。
自宅に二度被弾の経験を持っています。
一度目は全てを粉々に破壊する爆弾。
防空壕に避難してかろうじて助かった母一家でしたが、
2㍍以上もの土砂が防空壕に被り、
近所の人達に掘り出されたそうです。
二度目は燃やして破壊する焼夷弾。
これでほとんどの思い出の品物を失ったそうです。
まだ若かった母が受けた衝撃は大きく、
戦争の話となると口が重くなります。
終戦を迎え日本へ引き上げて来て右も左も分からず、
取りあえず祖父の実家へ向かったそうですが、
混乱の中、大変秩序良く誘導し世話をしてくれたのが、
多くの学生さんがただったそうです。
積極的に動きお世話する姿を見て、
自分達の大変さも乗り越えられると思ったそうです。
不思議と学生さん達に悲壮感がなく、明るかったそうです。
「あ~戦争はもう終わったんだ。
これからは空襲警報や爆弾に怯えることはないんだ・・・」
というのが母が実感した終戦の日だったそうです。
いつもありがとうございます。
