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北 重人 「夏の椿」

夏の椿 (文春文庫)夏の椿 (文春文庫)
(2008/01/10)
北 重人

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天明六年。
江戸が大雨に襲われた日、甥の定次郎を何者かに斬殺された旗本の三男坊である
立原周乃介は、その原因を調べるうちに、
定次郎が米問屋柏木屋のことを探っていたことを知る。
柏木屋の主人、仁三郎には暗い陰が見え隠れしているようだ。
核心に迫りだした周乃介の周りで不審な事件が起き始めた。

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雨はいよいよ繁くなっていた。
木立や築地(ついじ)を打つ音が、両側から圧(お)しかかってくる。
風が出て、時折、あおられた梢から雨が滝のように落ちてきた。
そのたびに、定次郎の傘が激しく鳴った。
坂下で、辻番の灯りが滲んで揺れている。
それはひどく遠くに見えたかと思うと、
番屋の戸口が浮き出るかと思うほど近くに見えたりした。
降った雨が坂を流れ下っていく。
地面に食い込んだ高下駄の歯先で、土が抉(えぐ)られていくのがわかる。

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海賊橋から見る楓川の水面は、すっかり色を失っていた。
それでも、堀と落ち合う小網町の辺りは、
空の残り陽を映して青い色を帯びていた。
河岸蔵(かしくら)の屋根が、大鋸(おおのこ)の歯のような影絵を描いている。

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伝通院は岡の上にある。
岡は、小石川と江戸川の谷に挟まれている。
門前の安藤坂に立てば、牛込御門のお堀まで見通せる。
番町から牛込辺りの武家屋敷の屋根屋根が、
きらきらと秋の西陽を浴びていた。
周乃介は伝通院を過ぎ、
江戸川に向かって細い道を折れる。
片側に寺があり、張り出した梢が空を覆っている。

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周乃介は、稲荷新道の五十鈴屋の二階に居た。
露地庭に面した、いつもの部屋である。
形の佳い楓が枝を広げている。
この間は、萌え出た緑がみずみずしかった。
いま、楓は露地の空を埋め、窓際から部屋に入り込んできそうだ。
傾いた陽射しが、細かな葉の間から洩れている。
微かな風で葉は揺れ、畳の上に光の漣(さざなみ)が立つ。

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両側は武家屋敷である。
坂を秋風が走って、頭上で梢が騒いだ。
坂下では外堀が陽を浴び、手前には辻番の小屋が見えている。
坂を下りきって左手に折れる。
牛込の河岸と揚場町の片町が続く。
河岸には木材やら俵物が積み上げられていた。
河岸が尽きると橋がある。
船河原橋である。
北から流れてくる江戸川が、橋のすぐ下手で外堀と落ち合う。
江戸川と外堀の間に落差がある。
外堀に引き込まれるように、江戸川の水は落ちていく。
水勢に応じて落とし口が盛り上がり、その度に
どぉーん、どぉーんと水音が高まる。
それで近くの者たちは、船河原橋をどんどん橋とも呼んでいた。
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夜半、月が出た。
寝待ちの月であった。
月影に両岸の蘆(ろ)が浮かんだ。
川に沿って曲がるたびに、曲がるたびに、
船縁(ふねべり)の間際まで蘆(ろ)の葉が近づく。
時に、船棹が葉を鳴らし、水音を立てた。

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周乃介は暗いうちに須川の旅籠(はたご)を出た。
宿々の門口から洩れた灯りが、道に縞模様を描き出している。
前方に山の気配が蟠って(わだかまって)いた。
陽が昇ると、山並みが迫る。
木々が色づき、真っ青な空が高い。
これならば今日中に越後に入れる、と周乃介は思った。
川を左手に見下ろしつつ、
道は徐々に高くなっていく。
やがて猿ケ京関所を抜け、永井宿に出る。
山腹に貼り付くように家並みが連なっている。
街道はそこから、胸を突く登りになる。


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北重人さんの文章表現が素晴らしくて、
一ページ一ページゆっくり楽しみながら読んでいます。
物語の面白さで読む本もありますが、
重人さんのような魅力的な文章で読む本もあります。
もう亡くなられているので、限られた作品となりましたが、
じっくり味わいながら読ませて頂いています。
本当に素晴らしい作家さんでしたね・・・。



いつもありがとうございます。


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プロフィール

cn7145

Author:cn7145
生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

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