宇江佐 真理 「無事、これ名馬」
![]() | 無事、これ名馬 (新潮文庫) (2008/04/25) 宇江佐 真理 商品詳細を見る |
吉蔵は町火消し「は組」の頭。
火の手が上がれば、組を率いて駆け付け、命懸けで火事を鎮める。
そんな吉蔵に、武家の息子・村椿太郎左衛門が弟子入りを志願してきた。
生来の臆病ゆえに、剣術の試合にどうしても勝てない太郎左衛門。
吉蔵の心意気に感化され、生まれ変わることができるのか……。
少年の成長と、彼を見守る大人たちの人生模様を、
哀歓鮮やかに描き上げる、傑作時代小説。
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お春はひどい難産の末にお栄を産んだ。
一時はお春も命を取られるかと心配したものだ。
「お前さん、あたしが死んだら、この子を立派に育てておくれね。
あたしはこの子さえ無事に生まれたら、死んでも悔やまないよ」
苦しい息遣いでそう言うと、お春は気を失いかけた。
産婆が加減もせずにお春の頬を張った。
「お前が亭主と好きなことをして産む餓鬼だろうが。
最後まで落とし前つけな」
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「女はすっこんでいろ!」
由五郎は却って逆上した。
ところが、すっこんでいろと言われたお栄の眼が三角になった。
着物の裾を捌いて(さばいて)片膝を立てた。
お栄が心底腹を立てた時に出る仕種だ。
案の定、「そうかい、お前さんはそんなに喧嘩がしたいのかい。
上等だ。
やって貰おうじゃないか。
ただし、ここであたしに三行半を書き、
は組の纏持ち(まといもち)の看板を下ろしておくれな。
そうしたら、何をやっても構やしない。
おう、お前さんにその覚悟があるならおやりよ。
さあ、さあ」と、凄んだ。
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「坊ちゃん、男にとって大事なことは何だと思いやす?」
金次郎は試すように訊いた。
「強くなることですか」
「へへえ、わかっていなさるじゃねぇですか。
男はおなごより強くなけりゃいけやせん。
なぜなら、男はおなごを守るさだめで生まれて来てるんですからね。
ところが坊ちゃんは昨日の試合に負けてしまった。
しかもおなごにね。
さあ、そいつはいったい、どうした訳でござんしょう」
「拙者が弱いからです」
「いいや、そうじゃありやせん。
坊ちゃんには気力がねェからです。
また負けるかも知れねェ、そう思って、試合をする前から及び腰に
なっていたからですぜ。
坊ちゃんは試合をする前に、もやは負けていたんでさァ。
こんな馬鹿なことがありやすかい。
ちょっとでも打ち込んでやろうという気にならねェ限り、
これからも勝つことはありやせん。
さあ、この先、坊ちゃんはどうしなさいやす。
負け続けやすかい」
「い、いやです」
太郎左衛門はその時だけ、きっぱりと応えた。
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「寝小便はな、心の奥底にある本心がさせるのよ。
いい子ぶっているが、
お前ェは、実は泣き虫の寂しがり屋だろうがってな」
由五郎はつかの間、遠くを見るような眼になって言った。
「確かに拙者は泣き虫の寂しがり屋です」
太郎左衛門は俯きがちになって応えた。
「坊ちゃんは、おっ母様にもっと甘えたいんですよ。
ところが、坊ちゃんには妹も弟もいる。
兄貴らしくしなきゃいけねェ。
それで、つい、気持ちが無理をしちまうんですよ」
由五郎は何も彼も承知している様子で続ける。
さすが寝小便の先輩である。
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「親馬鹿と笑うてくだされ。
倅は剣術も学問も芳しくござらぬが、
さしたる病もせず、また、人と喧嘩して傷を負うたこともござらぬ。
弟や妹には優しい兄でござる。
拙者は大層苦労して今の役目に就きましたが、
拙者と同じ苦労を倅に味わわせようとは思いませぬ。
いや、この先、倅が大きな失態を演じなければ、
拙者の跡を継いで、しかるべき役職に就くはずでござる。
恐らく倅は真面目にお務めを全うし、
平凡だが倖せな人生を送ることでござろう。
倅を駄馬と悪口を言う御仁もおりまする。
だが、拙者はそうは思いませぬ。
無事、これ名馬のたとえもござる。
倅は拙者にとってかけがえのない名馬でござる」
村椿五郎太はそれを言いたかったとばかり、声を高くした。
お栄と吉蔵は五郎太の親心に胸を詰まらせ、
そっと眼を拭った。
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ごろちゃんこと五郎左衛門が7歳から30年後までの成長と
ごろちゃんを見守る火消し組の家族・親戚・近所のひと達のふれあいを、
面白ろ可笑しく、ちょっと悲しく切なく描かれた物語です。
吉蔵一家の一人娘お栄がとても光っています。
お栄にとって悲しい事も起こりますが、
それも人生。
ドラマになったらお栄は、ぜひ尾野真千子さんで!
と思うくらいピッタリな雰囲気です。
最後のごろちゃんの父親五郎太の親心の言葉に
ほろっとしました。
とってもオススメの一冊です!
いつもありがとうございます

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