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藤沢 周平 「雪明り」  


新装版 雪明かり (講談社文庫)新装版 雪明かり (講談社文庫)
(2006/11/16)
藤沢 周平

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女性の捉えかたが秀逸な傑作短編8本を収録美しく心優しい女の哀れ、
世の片隅で生きる博徒のせつなさ。武家社会の終息を予感する武士の慨嘆。
小さくも己の世界を懸命に生きる人々の姿を暖かく描く短編集!

貧しくも、明日への夢を持って健気に生きる女。
深い心の闇を抱えて世間の片隅にうずくまる博徒。
武家社会の終焉を予想する武士の慨嘆。
立場、事情はさまざまでも、
己の世界を懸命に生きる人々を、
善人も、悪人も優しく見つめる著者の目が全編を貫き、
巧みな構成と鮮やかな結末とあいまった魅惑の短編集。

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1.恐喝
 
 三つの時に両親に死なれて、伯父の勘七に引き取られた。勘七は早死にした妹が残したたった一人の子供を不愍(ふびん)がったが、伯母のおはつは、なぜか執拗に竹二郎を苛めた。おたかの下の麻吉が、竹二郎と同年だったことも理由だったようである。もっともそれはかなり大きくなってから気づいたことである。鮮明にひとつの記憶がある。勘七はうだつの上がらない左官の下職だったが、おはつはその頃から近くの小料理屋に、通いの仲居で勤めていた。商売柄おはつは毎晩のように酔って帰った。そして四半刻もすると、大てい近所構わずの喧嘩が始まり、喧嘩になるとおはつは、決まり文句のように竹二郎を飯ばっかり喰らう厄介もの、と罵った(ののしった)。

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2.入墨
 
 突然瀬戸物が割れる音が、静かな店の中に響いた。卯助が立ち上がっていた。卯助の右手には、底が欠けて鋭い割れ口を見せている銚子が握られている。不思議なものをみるように、乙次郎は近づいて来る卯助を眺めて声をかけた。「どうかしたか、じいさん。これはお遊びじゃねえんだ。近寄ると怪我するぜ」だが卯助はゆっくりした足の運びを止めなかった。二人に近づくと、足をひらき腰をためるように落として、銚子を逆手に持ち替えた。「お父っつぁん、やめて」お島が叫んだのと、乙次郎が牧蔵を突き離して、卯助に向き直ったのが同時だった。卯助はそのまま踏み込んでいた。

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3.潮田伝五郎置文

 潮田は、どういうわけで勝弥に果たし合いなど申し込んだのだろう。七重にはいくら考えても解らない。潮田伝五郎は、ある時期弟のまわりにいた男たちのなかで、一番目立たない人間だった。辛卯の年の暮、屋敷から救い出してくれたのが、伝五郎だと知ったときは驚いたが、偶然だろうと思っていた。果たし合いは、伝五郎の方から申し込んだと聞いている。どうのような理由からそうなったかを語る者は誰もいない。七重に解っているのは、一人の男が、いまの七恵にとって大切な人間の命を奪ってしまったことだけである。・・・あのような眼でみられるいわれはない。七重は、憎悪を含んだ眼で自分を見つめてくる潮田の老母に、憤りを感じた。風もない、穏やかな日射しの中で、二人の女は、なおしばらくきつい眼でお互いを見合った。

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4.穴熊

 「町人」刀を下げたまま、黒い影が引き返してきた。塚本伊織だった。・・・斬られる。と浅次郎は思った。「お前も、この女と寝たか」「へい」浅次郎は顫(ふる)える歯を噛みしめて、辛うじて答えた。「申し訳ござんせん、旦那」「お前が悪いわけではない。悪いのはこの女だ」塚本は暗い声で言った。月明りを背にしていて、表情は見えなかった。「だが、二度とわしの前に顔を出すな。今度出会ったときは斬る」塚本は言うと、くるりと背を向け、橋に戻るとしゃがみ込んで、倒れている佐江の身体を抱き起こし、背負った。「旦那」浅次郎は橋に駆け上がった。血の匂いが鼻を衝いてきた。橋板は夥しい(おびただしい)血に黒く染まっている。「斬っちまったんですかい」言ったとき、浅次郎は不意に涙がこみ上げてくるのを感じた。涙声で言った。「何も殺さなくとも、よかったんじゃありませんかい。むごいことをなさる」歩きかけていた塚本が、ゆっくりと振返った。「これは、わしに斬られる日を待っていたのだ」

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5.冤罪
 
 ・・・ああして、兄はこれからも城に通い続けるのだ。と源次郎は思った。妻子を養うためには、同僚を過失で死なせたことにも、死んだ同僚が冤罪を着て家を潰されたことにも、眼をつぶり、口を噤み(つぐみ)、ひたすら事なかれと通い続けるのである。そういう兄を、非難出来ないのを、源次郎は感じる。兄の生き方は、どこかもの哀しいが、源次郎の非難など受け付けない強靭なものを秘めているようにも思われた。まるめた背が、源次郎が七つの時に死んだ亡父に似てきた、と思う。その背に、兄は小禄ながら五代にわたって続く堀家の、すっしりとした重味を背負って、城と屋敷の間を往復している。

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6.暁のひかり

 今にして思えば、おことは市蔵がもう戻ることが出来ない世界から声をかえてきた、たった一人の人間だったように思うのである。おつなや、小梅の伊八、富三郎がいて、油煙を煙らせる賭場があるところではなく、人々が朝夕の挨拶をかわしたり、天気を案じたり、体のぐあいを訊ね合ったりし、仕事に汗を流し、その汗でささやかなしあわせを購う(あがなう)場所。そこに戻ることが、どんなに難しいかは、さっき会ってきた親方の源吉を思い出せばわかる。

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7.遠方より来る

 ・・・しかし、気楽だろうな。と思った。喰うためには、何かしなければならないだろうが、それは城に雇われている人間も一緒である。家もなく妻子の煩(わずら)いもないというのは気楽なものかも知れないと思った。ただ人は、その孤独に耐えられないときがあるだろう。曾我平九郎が、この家に立ち寄ったのもそういうことで、いっとき人恋しかっただけかも知れぬ。

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8.雪明り
 
 ・・・由乃は、跳べと言っている。そうやって、由乃と夫婦になるしかないのだと思った。汚物にまみれ、骨と皮だけになった由乃を宮本の家から救い出したときから、そのことはわかっていたのだった。そして由乃もそれをわかっていたのだ、と思った。・・・江戸に行くのだ。菊四郎は坂に背を向けて、ゆっくり歩きだした。

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プロフィール

cn7145

Author:cn7145
生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

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