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宇江佐 真理 「月は誰のもの・髪結い伊三次捕物余話」

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超人気シリーズが、書き下ろし長編小説に!
髪結いの伊三次と芸者のお文。
仲のよい夫婦をめぐる騒動を、
江戸の夜空にかかる月が見守っている。


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「いきんで、いきんで」
お浜の声が勇ましい。
お文は唇を噛み締めてがんばっている様子だ。
「さあ、もう一度。そうそう、上手、上手」
伊三次は座っていられず、
襖の前でじっと耳をそばだてた。
「お文、がんばれ」
そんな声が自然に出る。
「やかましい!今が正念場だ。
余計な半畳を入れるんじゃないよ」
お浜が憎らしい言葉を返して来た。
「余計な半畳って・・・」


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月は誰のもの?
伊与太が要左衛門に問い掛けた言葉が思い出された。
月は誰のものでもない。皆のものでもない。
月は月だ。
ただ空にあって、青白い光を地上に投げ掛けるだけだ。
また、人の心持ちによって、
月は喜びの象徴ともなれば
悲しみの象徴ともなる。
なまじ満ち欠けをする月だからこそ、
人々の気持ちが投影されるのだろう。
いつも月を美しいと感じていられるように、
ありがたいと思っていられるように。
お文はそっと掌を合わせて祈る。
要左衛門はもしかして、
お文にとっては月のような存在だったのかも知れない。
そんな気がしてならなかった。


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「何かあった時って何ですか」
「そのう、行かず後家と深間になるとかよ。
男はなあ、女に言い寄られると悪い気持ちが
しねぇもんだな。
つい、ふらふらっと傾いちまう。
世間にはよくあることだ。
だが、お前ぇの女房は並の女じゃねぇ。
辰巳仕込みの芸者だ。
女房が孕んでいる時によその女に
懸想したとなったら決して許さねぇ。
あっさりお前ぇをお払い箱にしてしまうだろう。
女房はその気になりゃ二人の餓鬼ぐらい立派に
育ててやると啖呵を切るぜ」
松助は脅すように言った。
伊三次はようやく周りに心配させていると感じた。


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「その通りだよ。
火事に遭った時は、これで何も彼もお仕舞いだと、
心底がっかりしたものだが、
実のてて親に会えたし、周りの人にも
口では言えないほど情けを受けたよ。
時々、あの火事は神さんがわっちを試したものかとも
考えるんだよ」
「試した?」
「ああ。どうだ、お文、これでお前はどん底だ、
様ぁ見やがれ。手前ぇの不幸に泣き、
喚くがいいってね。
だが、わっちは泣いてる暇もなかった。
目の前に片づけなければならないことが
山のようにあったからね。
今に見ていろって意地もあった。
すると神さんは感心して、
その後にご褒美を下さったのさ。
わっちはそう思っているよ」



いつもありがとうございます
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宇江佐 真理 「明日のことは知らず・髪結い伊三次捕物余話」⑪

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昔はよかったと言ったところで、
時間は前に進んでいくばかり。
過去を振り返っても仕方がない。
本作のタイトル通り、明日のことはわからないのである…。
大人気シリーズが誕生して二十年。
髪結いの伊三次と、その恋女房で深川芸者のお文。
仲の良い夫婦をめぐる人びとの交情が、
時空をこえて胸を震わせてくれます。


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1.あやめ供養 
 あやめを丹精することが生きがいの老婆が、
庭で頭を打って亡くなってしまう。
彼女の部屋から高価な持ち物が消えていることを
不審に思った息子は、伊三次に調査を依頼する。
暗い過去を持つ、花屋の直次郎が疑われるが……。

 「そいじゃ、お言葉に甘えて、
たったひとつだけほしい物がありやす」
「そ、そうか。それは何んですかな」
桂庵は、つっと膝を進めた。
「九兵衛に、わたしの弟子の九兵衛に
廻りの髪結いをする時の台箱を誂えて(あつらえて)おくんなさい。
一生持ってもガタが来ない頑丈で上等な台箱を」
「伊佐次さん・・・」
そう言ったきり、桂庵は言葉に窮した。
図に乗った願いだったろうかと伊佐次は慌てた。
だが、そうではなかった。
「弟子のために台箱がほしいのですか。
何んとも欲のない。他には何か」
「いえ、それだけで充分です」

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2.赤い花 
 伊三次の弟子、九兵衛に縁談が持ち上がる。
相手は九兵衛の父親が働く魚屋「魚佐」の娘だが、
これがかなり癖のあるお嬢さんだった。

 するとおてんは、
本当に男に生まれたかったんだと胸の内を明かした。
伝五郎という若者はとぼけた表情をして、
喋ることも冗談交じりの男だった。
その伝五郎が、幾ら男に生まれたかったと言ったところで
無理な話ですぜ、お嬢さんはおなごとして
十八年も生きて来たんですからね、
今さら股の間から金玉が生えても困るでしょうと言った。
その言葉に男達は爆笑したが、
おてんは反対に咽び(むせび)泣いたという。

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3.赤のまんまに魚(とと)そえて 
 浮気性で有名な和菓子屋の若旦那は、
何度も女房を替えているが、
別れた女房が次々と行方知れずになるとの噂があった。
このことを聞いた伊三次は同心の不破友之進に相談する。
 
 「しかし、同じようなことが二度、三度も続いては、
黙っている訳にも行きやせんぜ。
夫婦喧嘩をして、
こんな女房はぶち殺してやりたいと思っても、
際にそんなことをする奴はおりやせん。
人が人をあやめちゃならねェと、
ぎりぎりのところで踏み留まるからですよ。
だが、世の中には踏み留まれず、
一線を越える者がおりやす。
一線を越えてしまえば、
次もその次もさして頓着しなくなるんでしょう。
もはやそいつは単なる下手人でなく、
鬼になっているんですよ。」


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4.明日のことは知らず 
 伊三次の息子、伊与太が心惹かれ、
絵に描いていた女性が物干し台から落ちて亡くなった。
葬式の直後、彼女の夫は浮気相手と遊び歩いていた。
一方、不破家の茜は奉公先の松前藩で、
若様のお世話をすることになっていた。
 
(伊与太、優しい伊与太。
お前は元気で修業に励んでいることだろうね。
わたくしは大人の思惑に神経をすり減らしているのだよ。
自分が望んだ道とはいえ、わたくしは辛くてたまらない。
伊与太、子供の頃はよかったね。
何も悩みなどなく、思う通りに生きていたのだから。
わたくしが死んだら、
伊与太、涙のひとつもこぼしてくれるだろうか。
お前と夫婦になるなど、
よくも甘い夢が見られたものだ。
伊与太、愚かなわたくしを笑っておくれ)


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5.やぶ柑子(こうじ) 
  仕えていた藩が改易になった男。
知り合いの伝手を辿って再仕官しようとするが、
なかなか上手くはいかず、次第に困窮していく。 
 
「いいえ。
気に入らぬ芸者の顔を見ても、
おもしろくも何ともありませんから。
ですが、久慈様。
わっちもちょいと言わせていただきますよ。
料理茶屋に芸者を呼んで、芸者風情が口を挟むなとは、
ずい分なおっしゃりようでござんすね。
聞けば、昔、お世話になったお仕事仲間の息子が
浪人に甘んじているというのに、
面倒を見るどころか、近づくな、痛い目に遭わすぞとは、
血も涙もないやり方じゃござんせんか。
ご自分が士官の口にありつけば、
他の者はどうなっても構やしないということですか。
細川様もとんだ人間を抱えたものだ。
有田屋さん、袖の下はいかほど久慈様に差し上げたのですか。
わっちは口が軽いから、うっかり喋ってしまいそうですよ。
細川様のお留守居役の安藤様はわっちのご贔屓のお客様なんですよ。
それじゃ、ごめん下さいまし」
お文はいっきにまくし立てると廊下に出た。

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6.ヘイサラバサラ
 不老不死の薬」を研究していた医者が亡くなった。
彼の家には謎の物体が残されていたが、
ひょっとしたらそれが高価なものかもしれない
と思った家主は、伊三次に調べてもらうことに。

 しかし、と伊三次は考える。
不老不死は、はたして本当に倖せなのことなのだろうかと。
人は生まれて寿命が尽きた時にぽきりと死ぬ。
それが悪いこととは思えなかった。
自分は家族のために一生懸命働き、
伊与太とお吉を一人前にし、孫の顔を見て死にたい。
お父っつぁん、逝かないで。
じいちゃん、死なないでと
惜しまれながら息を引き取るのは何んて倖せな最期だろうか。
この世には人が想像もできない不思議なものがある。
それを知ることも生きていればこそだ。
するとヘイサラバサラも沈香も生きている証に思えて来る。
それらは決して人のためになる目的でこの世に現れた訳でもないのに。
人は自然の様々な恩恵を受けて生きている。
いや、生かされているのだと伊佐次は思う。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「心に吹く風・髪結い伊三次捕物余話」⑩

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一人息子の伊与太が、
修業していた絵師の家から逃げ帰ってきた。
しかし顔には大きな青痣がある。
伊三次とお文が仔細を訊ねても、
伊与太はだんまりを決め込むばかり。
やがて奉行所で人相書きの仕事を始めるが…。
親の心を知ってか知らずか、
移ろう季節とともに揺り動く、若者の心。
人生の転機は、いつもふいに訪れるもの。


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1.気をつけてお帰り
 「ほう、辛さを乗り越える術とは?」
龍之進はきいの顔を覗き込んで訊く。
きいは恥ずかしそうに二、三度眼をしばたたいた。
龍之進から視線を逸らし、
「走ることですよ。
どうしようもなくなった時は
柳原の土手を息が切れるまで走るんです。
するとね、不思議に元気になるんです
と、
きいは低く言った。



2.雁(かり)が渡る
 「手前ぇの伜だから肩を持つ訳じゃござんせんが、
兄弟子さんが伊与太に任せずに
先様へ絵を持って行きなすったら、
こんなことにはならなかったんじゃ
ねぇですかい」
伊三次は顔を上げて豊光に言った。
おっしゃる通りです、と豊光は応えた。



3.あだ心
 「上田秋成という戯作者が言ったことだが、
世の中を実直に生きることは『まめ心」で、
音曲や絵、おなごにうつつを抜かすことは
『あだ心』であるそうだ。
秋成は、世の中はまめ心で生きるのが本意だが、
己れはあだ心に生涯を委ね(ゆだね)ると決心したそうだ。
伊与太、お前はまだ若い。若過ぎる。
ここであだ心に触れるのも修行になるやも知れぬ」



4.かそけき月明かり
 さとが出刃包丁を持ち、自分の首に切っ先を向けていた。
「おっちゃん、おいら、ここで死ぬ。
銚子に帰ぇるぐらいなら死んだほうがましだ」
「やめろ、危ねぇから、やめろ」
伊三次は両手で空を押さえる仕種をして宥める。
「脅しじゃねぇよ。ほら、見ろよ」
さとは、自分の腕に出刃を当て、そっと突いた。
赤い点がつき、すぐさま糸のような血が伝う。
やめて、やめて。おふさがまた悲鳴を上げる。
「死ぬなんざ怖くねぇよ。
おいら、今まで何度も死ぬより辛い目に遭って
来たからな。いっそ死んだほうが楽だよ」
さとは大粒の涙をこぼしながら叫ぶ。
「そんなことはねぇ。生きてりゃいいこともある。
銚子にゃ帰ぇらねくていいぜ。
ずっとここにいても構わねぇ」



5.凍て蝶
 「さとちゃんを産んだ女が、
いかにも手前ぇが佐登里の母親です、
と名乗りを挙げ、相手はこれこれこういう男で、
育てることができなくて寺に捨てました、
とはっきり喋っているなら別さ。
母親もはっきりしない、まして、てて親もわからない。
銚子の村で噂になっていたことを
鵜呑みにしているだけじゃないか。
そうじゃないかも知れないと、なぜお前さんは考えない。
それがわっちにはわからないよ」
お文の言うことに伊三次はぐうの音も出なかった。
「大人の思惑で妙な目で見ることこそ、
さとちゃんが気の毒だ。
え?そうじゃないのかえ」



6.心に吹く風
 「お嬢さん、別に宝物があるからいいんだって」
「別の宝物?」
お文は怪訝そうにお吉を見た。
女中のおふさも帰って、茶の間は親子三人だけだ。
そこに伊与太がいないので、
なおさら感じられる。
お吉の他愛ないお喋りが、
その時の伊三次とお文にとっては慰めだ。
「お嬢さんは兄さんの描いた絵を持って行ったのよ。
不破様のお庭の絵と、
お嬢さんの姿を描いたものよ。
とても気に入って、一生の宝物にするんだって」



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「今日を刻む時計・髪結い伊三次捕物余話」⑨

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江戸の大火で住み慣れた家を失ってから十年。
伊三次とお文は新たに女の子を授かっていた。
ささやかな幸せを
かみしめながら暮らすふたりの気がかりは、
絵師の修業のために家を離れた息子の伊与太と、
二十七にもなって独り身のままでいる不破龍之進の行く末。
龍之進は勤めにも身が入らず、
料理茶屋に入り浸っているという…。


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.今日を刻む時計
 「不破の旦那は男でござんすよ。
奥様をずっとお慕いしていて、
奥様が吉原にいると聞くと矢も楯もたまらず
駈けつけたそうだ。
若旦那のお祖父様も偉かった。
何も言わず奥様の身請け料を工面なすったんだ。
奥様は旦那とお舅お姑さんの恩に報いるため、
一生懸命、同心の妻になろうと努められた。
これまで、若旦那は奥様に僅かでも吉原の匂いを
嗅いだことがありましたか?
奥様は武家の娘の気概を失っていなかったんだ。
わっちはとても奥様の真似なんてできない。
それなのに、若旦那は奥様のせいで縁談を断られたと
恨んでいるご様子。
若旦那がこれほど了簡の狭い男だとは思いませんでしたよ」



2.秋雨の余韻
 「似たようなお話があるのですよ。
縁談を断られた娘がおりまして、
父親はそれを不服として相手方へ談判に行き、
刃傷沙汰を起こしてしまいました。
その挙句、仰せつかっていた剣術道場指南役も下ろされ、
父親は抗議の意味で自害してしまったのです。
その娘も父親の後を追って自害致しました。
一家はそれにより離散する羽目となりました。」
「どなたのことをおっしゃっているのですか」
龍之進には心当たりがなかった。
「わたくしの実家のことです。
自害したのはわたくしの姉です」



3.過去という名のみぞれ雪
 「龍之進様は、ゆうが一番苦手な殿方に思えるの。
追い掛けたところで振り向いてもくれない人よ。
思いは膨らむ一方で、身も心もくたくたになりそう。
ゆうは、そういうのに堪えられないの」


・・・・・・・・・

みぞれ雪は人々の様々な思いを抱えて
降っているような気がした。
その思いとは、不破には皆、
過去を悔やむものばかりに感じられてならなかった。



4.春に候
 「手前ぇで言ってりゃ、世話ないよ。
伊与太、他人様の中で修業しているんだから、
意地を強く持っていなけりゃ踏むつけにされるよ。
それだけは言っておくよ。
困ったことが起きても、わっちとお父っつぁんは
すぐにお前の所へ駈けつけられないんだからね。
何でも一人でけりをつけるくせをつけなきゃ」



5.てけてけ
 「あたし、かけっこが得意だったんです。
大伝馬町にいた頃、近所の子供達と一緒に、
よく競争しました。
男の子と競争する時、女の子達は、
たけ、がんばれ、たけ、負けるなって応援するんです。
小平太は小さかったから、
その声がてけてけに聞こえたのでしょうね。
それからずっとあたしのことをてけてけと呼んで、
姉ちゃんとは呼んでくれなかったんです。」



6.我らが胸の鼓動
 「拙者、徳江さんとひと廻りも年が離れておりますゆえ、
当初、徳江さんを妻にすることは考えておりませんでした。
しかし、今は真剣にそう望んでおります。
お嫌でなければ拙者の申し出を受けていただきたい。
仲人を介するのどうのは、
拙者の性に合いませぬ。
これから拙者の家に参りましょう。
母上がうまくとり計らって下さいます。
いかがですかな。」
龍之進は照れも手伝って慇懃な口調になる。



いつもありがとうございます

宇江佐 真理 「我、言挙げす・髪結い伊三次捕物余話」⑧

ダウンロード (4)
晴れて番方若同心となった不破龍之進は、
伊三次や朋輩達とともに江戸の町を奔走する。
市中を騒がす奇矯な侍集団、
不正を噂される隠密同心、
失踪した大名家の姫君等々、
自らの正義に殉じた人々の残像が、
ひとつまたひとつと、龍之進の胸に刻まれてゆく。
一方、お文はお座敷帰りに奇妙な辻占いと出会うが…。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.粉雪
 「なぜですか。押し込みを働いたんですから、
こうなったのは自業自得ですよ」
「それはそうですが、もの心ついたころから、
薩摩へこ組として修業させられてきたのです。
よいか悪いかの判断もできず、
ただひたすら武士道を全うすることだけを教えられた。
その意味では、わたしも同じですよ。
祖父も同心、父親も同心の家に育ち、
ついには自分も同心となった。
同心は下手人を捕らえるのが仕事です。
そこに何の疑いも持たなかった。
仮に、仮にですよ。
ぽーんとよその土地に放り出され、
その土地の人々の価値観が同心を悪と見なしたとしたら
どうでしょう」


2.委細かまわず
 「旦那はお務めを退いたら、
お伊勢参りに連れてってくれると約束したんですよ。
それも反故になっちまった。
まあね、約束なんて守ってくれたためしはないから、
あたしも当てにはしていなかったけどね」
おひろは独り言のように呟く。


3.明烏(あけがらす)
 惚れるのも惚れられるのも、昔のことだった。
伊三次は、もはやお文の間夫(まぶ)ではなく、
正真正銘の亭主である。
それがいやだというのではなかったが、
お文はつかの間、自分の来し方、行く末を思う。
果たしてこれでよかったのだろうかと。
稼ぎの少ない亭主の不足を補うために
お座敷づとめを続けているお文である。
本当は家の中のことだけして呑気に暮したい。
息子の伊与太ともう少し遊んでやりたかった。


4.黒い振袖
 「姫、駕籠で参りましょうか」
龍之進がそう言うと、姫は首を振った。
「わらわは、そなた達と一緒に歩きたい」
姫の言葉に譲之進は嬉しさのあまり
「うふっ」と、野太い声で笑った。



5.雨後の月
 伊与太は縁側に腰を下ろし、
時々、足をばたばたさせながら伊三次を待っていた。
伊三次の姿に気づくと「ちゃん!」と甲高い声を上げた。
「待たせたな。勘弁してくんな。
これでも急いでやって来たんだぜ。
あれ、茜お嬢さんは?」
傍に茜の姿はなかった。
「お嬢はねんね」
伊与太はつまらなそうに応えた。
「そうか。お前ぇは昼寝をしなかったのか」
「うん。おうちじゃないから」
そう言った伊与太の眼は潤んでいた。
よほど寂しかったのだろうと思うと、
伊三次は胸が詰まった。
腕を伸ばすと伊与太はぶつかるようにしがみついてきた。



6.我、言挙げす(ことあげす)
 「古事記の中巻に倭建命が伊服岐能山(いぶきのやま)へ
山の神の退治に出かける話がある。
その時、倭建命は白い猪と出くわすのだ。
倭建命は、その猪を神の使者と思い、
帰り道でおまえを殺してやる、と猪に言う。
それがわが国最古の言挙げの用例とされておる」
松之丞は、おもむろに言挙げの謂れ(いわれ)を語った。
「そうしますと、自分の意志をはっきりと言うことが
言挙げになるのですね」



いつもありがとうございます
プロフィール

cn7145

Author:cn7145
生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

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