長年生きて来て、唯一の趣味である読書。
結構多く読んでいるつもりですが、
その多くの本の中で一番好きな本です。

昭和44年版です。
裏表紙。

単行本一冊 450円! 時代を感じますねぇ。
文庫本も持っていますが、
やはりこの本に関しては単行本で読むのが好きです。
高校一年の時に初めて読みました。
次が高校卒業し進学の際に再読。
社会人になって数年たった時に再々読。
それからはだいたい節目節目の年齢で読み続けています。
高校一年の時に読んで本当に良かったです。
学校の図書室で見つけた本。
綺麗な装丁と題名に惹かれました。
読み始めから夢中になりました。
当時は徹夜も出来る年齢だったので
いっきに読んだ覚えがあります。
今回は一週間以上かかって読み終えました(^^)
当時購入した時のまま、薄汚れてしまいましたが
大事な大事な本です。
なぜこんなにこの本に感銘するのか・・・
立原正秋さんの文章の素晴らしさ言葉の素晴らしさ
ストーリーとその人物の感情表現、
読み手を裏切る流れもあり、
あまりに切なく哀しい中に
読後しっかり考えさせられる余韻の素晴らしさ・・・
青春時代に読み、
社会人の時に読み、
年齢が進む毎に読む・・・
どの年代で再読しても深く心に残る物語です。
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価値観は50年前。
昭和40年代です。
美しい母澄江と行助(ぎょうすけ)16歳。
5歳の時に父親が亡くなり、
母親が再婚した相手は大手企業の社長宇野理一。
社会的にも人物的にも申し分のない優しい義父。
この物語は、義兄修一郎19歳が、
美しい母澄江を凌辱するところから始まります。
修一郎が乱暴している場面を目にした行助が
修一郎と揉み合います。
「俺をばかにしやがって!」と言って
台所から包丁を持ち出した修一郎。
行助と揉み合いの中
誤って自分の足を自分で刺してしまった修一郎。
しかし警察には自分が刺したと言う行助。
母澄江も行助の言葉に従います。
修一郎は母親澄江と行助の事を
「女中と女中の子に刺された」と供述します。
義理の息子に凌辱された事を言わない澄江と行助。
結局供述通りとなり行助は少年院送致となります。
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ここから少年院内の事が描かれます。
再婚先の家族と少年院内での仲間とを
平行して描いています。
義父理一は一貫して
実の息子である修一郎に対して疑いを持ちます。
行助を信じ実の息子を嫌います。
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行助の少年院内での態度を通しても
誰もが人を刺すような行助ではないと
判断されますが行助は何も言いません。
冷静で穏やかで知能指数の高い優秀な行助。
院内においてもそんな行助に
生涯を通しての大切な仲間が出来ます。
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なぜ行助は本当の事を言わなかったのか・・・
行助が考えている事はただ一つ・・・
生涯修一郎を劣等感の中でしか生きられないようにすること。
その為に真実を語る事なく
少年院生活を送るのです。
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約9ケ月で卒院した行助は、高校に復学します。
少年院での生活の間、義兄の修一郎は
自宅ではなく祖父母宅で生活を送っていました。
自分に甘く、祖父母からの過保護と
元来の目先の事しか考えない浅はかさで
堕落した生活を送っていた修一郎。
自動車事故を起こせば祖父が裏に回って示談にし、
大学も裏口入学。
小遣いも好きなだけ祖父母からもらえ遊び三昧。
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父親理一と修一郎の確執はぬぐいきれず、
父親は修一郎が和解したいと申し出ても拒否。
行助が修一郎を刺したのではないことは明白。
何度修一郎に真実を聞き出しても応えない。
義理の母親と義弟を女中と女中の子との認識でいる限り
修一郎と共に暮らす事を許さない理一。
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修一郎はだんだん何かが胸の奥にずっしり淀む事を
考えるようになります。
そうして、なぜ自分だけ疎まれなければならないのか。
あいつは少年院に入っているのに罪の意識は
自分にだけ寄せ集まるのはなぜなのか・・・
行助ばかりをかばい義理の母親と三人だけで
幸せに暮らしている事に対する憎悪を増す修一郎。
ある日、憎悪が殺意へと変わり行動を起こします。
自宅に侵入した修一郎は父親を刺し殺そうとします。
すんでの所で行助が止めにはいります。
行助は修一郎の持参したナイフを取り上げ
今度は本気で殺意を込めて脇腹数センチ刺します。
ナイフを抜きながら行助は修一郎へ
とどめの言葉を言います・・・・・
行助は、修一郎に何と言ったのか・・・
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裁判において修一郎の殺意は執行猶予付きとなります。
行助は弁護士も付けず、一貫して「殺意があった」と言います。
父親理一は行助の弁護に回り証言をしますが、
行助のある一言で、擁護証言は覆り少年院送致が決まります。
行助が父親理一に行った言葉とは・・・・・・
それは父親理一と修一郎の親子としての
修復の鍵となる言葉でした・・・・・・
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二度目の少年院は、前回の少年院とは違い
殺伐とした荒涼の刑務所のような辛い場所でした。
ここでの暮らしについても実際の少年院の位置づけを
描いています。
一番の問題は、毎度の食事の少なさと種類のなさ。
麦飯と3切れの沢庵と鯨の煮つけや青菜の煮つけ。
徹底して野菜不足。
少ない野菜の味付けは醤油だけ。
行助はこの刑務所のような少年院では、
広大な敷地を耕し、少しでも食事の足しになるよう
農芸部に所属して精を出します。
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一方、相変わらず堕落していた修一郎は、
父親理一との修復を強く思うようになります。
理一は行助からある言葉を裁判の時に言われた事により
修一郎を自分の会社に入社させ、
社内で一番厳しい役員を修一郎の教育係とし、
平社員から徹底的に教育します。
時間がかかりながらも徐々に
修一郎と修復して行きます。
そんな修一郎がある日、
自分のして来た事への悔恨と行助への懐かしさから
沢山の黄色いレンギョウの花束を持って
直接少年院を訪れ行助に面会に行きます。
修一郎は行助に「和解出来るだろうか?」と聞きます。
行助はこうして花を沢山持って来てくれたことに対して
修一郎への和解への気持ちを汲みますが、
「戻ることはない」と告げるのでした・・・
面会を終えた修一郎は、
「結局、自分は何をしても、どんな事をしても
行助にはかなわない」
と実感するのでした・・・
そうして生涯持つであろう
行助への劣等意識を自覚するのでした・・・
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行助には心に秘めた厚子との出会いがありました。
一度目に入った少年院で親友となった安の奥さんです。
厚子も行助との出会いにより
二人は惹かれ合いますが、お互い心の奥底に秘めたまま。
安は少年院を出てから行助の父親理一の援助を受けながら
小さいラーメン店を厚子と開きます。
数年後、安は理一に援助を受けた分を完済します。
安が将来に対する晴れやかな気持ちでいた矢先、
黄色信号を無理に横断中に交通事故で亡くなります。
深い悲しみの厚子と行助や仲間たち。
これからの事を思うと、
厚子と行助は自然な結ばれ方をするはずも、
後に行助は・・・
厚子の事を考えるとき辛さがさきにたつ事の確実さを
厚子を目の前にして思うのでした。
そして死んだ安を考えるとき、
苦痛は倍加してくるような気がするから・・・
「俺は、たぶん、あのひととはいっしょにならないだろう」
そう結論づけるのでした・・・
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最終章は「旅の終わり」
相模灘に面している少年院に南下して来るカモメを待つ行助。
あと二週間もすれば少年院から出られる事になった行助。
広大な畑を耕す事を好んでいた行助。
次の院生に引き継ぐ為にぎりぎりまで耕す行助。
土に触れ、土を愛し、土に感謝する行助。
そんな矢先・・・
行助はその土に短い生涯を閉ざされる事になります・・・
苦しみの中、夢に出て来る懐かしい人々・・・
親子の仲を修復した父親と修一郎・・・
親友の安と厚子・・・
美しい母澄江・・・
亡くなった実父・・・
そして・・・
あれだけ待ち望んでいたカモメが・・・
無数のカモメが飛び交い羽ばたきの音を聞きます。
「ああ、カモメが南下してきた!
俺は、おまえ達が来るのをどんなに待っていたことだろう・・・」
そうして最後の行助の言葉は・・・・・・
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行助という人間は、
倫理そのものだったのではないでしょうか・・・
毎回読み終わると心がじ~んとします。
哀しさと切なさで何度読んでもやっぱり涙がこぼれます・・・
本当に読んで良かった一冊です。
貴重な大事な本「冬の旅」でした。
いつもありがとうございます