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押川 國秋 「十手人」


十手人十手人
(2000/03)
押川 国秋

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死んだはずの母親の消息を訊いた酒場で暴れ入墨者になった源七は、奉公先で盗みの濡れ衣を着せられた娘・お菊を救うため奔走する。町方同心・佐々木弦一郎の下で、十手捌きを身につけていく源七に、渋柿長屋の人々の眼差しは温かい。お菊を陥れた悪党を源七は炙り出せるのか!? 江戸の人情を描く<第10回時代小説大賞受賞作>捕物帖。

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原七は横山町へ向かって歩きながら、俺はどうしてお菊という女のためにこんなに一生懸命になっているのだろう、と考えていた。
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源七は眠れぬままにお菊のことを考えた。孫八に「惚れているんだろう」と決め付けられた時、どうしてすぎに「惚れている」と答えられなかったのか、そしてそんな自分に何となく忸怩(じくじ)としたものを意識したのはなぜなのだろう、と源七はその時の気持ちを反芻(はんすう)していた。
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お菊の顔は今にも泣きだしそうに歪んでいた。あまりの嬉しさに言葉を失った表情であった。「お菊」そう叫ぶ声がし、久蔵が駆け寄ってお菊の身体を夢中で抱きしめていた。源七はその兄妹の姿を見やりながら、これで何もかも救われたのだと思うと、胸いっぱいにあふれるような歓びが突き上げ、周りのもの全てが涙に滲んでしまって、ただ陽炎のような光景に見えるだけだった。
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弦一郎は内心で、源七のことをなかなか見どころのある奴だと思っている。一人の流罪の女を救ったも同然なのだから、普通なら得意顔で吹聴して回るものだが、源七はそれを全く誰にも喋っていなかった。それなりの理由が彼にあったにしろ、口が軽薄でないということは、弦一郎にとってなかなか見込みのある人間なのである。
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源七はいつの間にか、父親の辰五郎とお琴という女のことを考えていた。二人とも幸せになれると信じて一緒になったのだろうに、片方は今では帳外者としてこの世の地獄に落ち、そしてもう一方は謂れもなく殺されてしまったいた。その二人がこの世に産みだしたたった一人の人間がこの俺なのだ。それが今こうして、幸せな人間を眺めながらぼんやりと独りで立っている。源七は訳もなく胸の中が熱くなってきて、流れる涙を拭おうともせずに、少し濁ったお玉ガ池の水面を見つめていた。
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日比谷町の裏長屋には、暑い夏の夕暮れの、なんとなく孤愁をそそるもの憂い風情が漂っていて、そこかしこの女たちの声も、遠い日の記憶を思い起こさせるような響きがあった。
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科書(とがしょ)の捨札を立てた横四尺の獄門台の上に、お稲の首は少し上を向いた形で据えられていた。飾り一つない髪には心ばかりの櫛が通され、血の色を失った顔に、冬晴れの寂寞(せきばく)とした陽射しが注いでいた。瞼は閉じられていたが、源七にはその動かぬ表情が、じっとわが子の泣き声に耳を澄ましているように思えた。女に生まれ、初めて身二つになった一番幸せな筈のそのさなか、首を落とされてしまったこの世の哀しみを、よろずの神や仏に一心に訴えている顔でもあった。牢屋敷で産み落とされたのは男の児だったという。父親の顔も知らず、母親の顔も知らぬその子の行く末を思った時、源七は自分の生い立ちと重ね合わせ、とても手におえない理不尽さを突きつけたれたようで、長いあいだその場に立ちつくしていた。
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「一人で気張っているのはよせ。気持ちを通じ合い、
助け合ってゆくのが世間なんだ」




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生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

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