FC2ブログ

宇江佐 真理 「黒く塗れ・髪結い伊三次捕物余話」⑤

ダウンロード (2)

お文は身重を隠し、年末年始はかきいれ刻とお座敷を続けていた。
所帯を持って裏店から一軒家へ移った伊三次だが、
懐に余裕のないせいか、ふと侘しさを感じ、
回向院の富突きに賭けてみる。
お文の子は逆子とわかり心配事が増えた。
伊三次を巡るわけありの人々の幸せを願わずにいられない、
人気シリーズ第五弾。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.蓮華往生
 「旦那は、最後は奥様とだけ眼を合わせたんだ。
それを見た姐さんが胸にぐっとこたえたんじゃないだろうか」
「わからねぇ。
旦那は奥様の後ろで喜久壽の方を見たんじゃねぇのか?」
「そんな余裕はあったかえ?
本当なら旦那は奥様にも素性を知られたくなかったはずだ。
だが、覚悟の上で蓮華に上がったのなら、
最後の最後に言い残す言葉があるのは姐さんじゃなく
奥様の方だ。
まして旦那は奥様の寺通いをやめさせるために、
あの寺を張っていたんだろ?
旦那は姐さんよりも奥様を選んだんだ」



2.畏れ入り谷の
「入谷の鬼子母神さんにねえ、行けるかえ?」
「・・・・・」
返事をしないのは大義だということだ。
無理もない。入谷は浅草寺から田圃を抜けた寺町の一郭にある。
すぐ傍は上野のお山である。
「何んでまた、そんな所に・・・」
しばらくしてから伊三次が口を開いた。
「この前、お座敷を掛けてくれたお客様に呼び出されたのさ。
だけどわっちは無理だからお前さんに代わりに行って貰いたいのさ」
「代わりに行ってどうするのよ。
おれは桃太郎の亭主でござんす、
女房は来られません。
お生憎でござんすね、と言うのか」
「なにを言うことやら。
一丁前に焼き餅を焼いているつもりかえ」
お文は悪戯っぽい表情で笑った。



3.夢おぼろ
 「旦那、建て主は富突きで大金を手にしたそうですぜ。
元の商売もうっちゃらかして浮かれていたんで、
こんなざまになっちまったんですよ」
伊三次は八兵衛の後ろからついて行きながら口を挟んだ。
「一の富だってねえ。
八十両もの金を持つ人間は、
この江戸でもそうそういませんよ。
しかし、どれほど大金でも遣うとなったら早いものです」
八兵衛はしみじみと言った。
「真面目に働くことが肝腎ですよね」
伊三次が子供のような口調で言うと、
儀右衛門はくすくす笑いながら、
「伊三次さんなら大丈夫ですよ」と言った。
「お金は大切にする人の所にしか集まりません。
そういうもんです」
八兵衛はきっぱりと言った。



4.月に霞はどこでごんす
 糊の瓶(かめ)から出て来たような赤ん坊は
お世辞にも可愛いとは言えなかった。
伊三次は情けない顔で笑った。
「さあ、ご亭主。ご苦労様でございます。
もはやお引き取り下さい」
いつまでもそこにいる伊三次に黄湖は苦笑混じりに命じた。
黄湖は産湯を使って小ざっぱりした赤ん坊を確認すると、
「まれに見る難産でした。
しかし、無事に生まれたということは、
よほど運の強いお子さんなのでしょう。
大事に育てて差し上げて下さい。
施術料は後ほどご請求します」と、
事務的に言って帰って行った。
伊三次は通りの外まで黄湖を見送った。
夜は白々と明け、朝靄が左内町の通りに立ち込めていた。



5.黒く塗れ
 明日のことはわからない。
だが、明日の夜はすべてが終わっている。
最悪の場合は長庵の尻尾が摑めず、
おつなが罪に問われることだった。
偽人参の廉(かど)で捕らえたとしても、
沙汰はさほど重いものにはならないだろう。
晴れて娑婆に戻った長庵は、また次なる獲物を探す。
同心の小者として、伊三次は初めて下手人に強い憎しみを抱いた。
夜は更けていた。
伊三次の影が襖に黒く映っている。
その影を見つめて伊三次は低く呟いた。
黒く塗れ、と。



6.慈雨
 伊三次は直次郎の背中をくいっと押して、踵(きびす)を返した。
直次郎はしばらくその場に佇んで、伊三次を見送った。
伊三次は曲がり角で振り向いた。振り向かずにはいられなかった。
直次郎がおずおずと戸に近づき、中へ声を掛けた様子である。
ほどなく、戸が開き、お佐和の白い顔が覗いた。
お佐和は泣き笑いのような表情をしている。
かぶりを振った。もう一度、かぶりを振った。
それからこくりと肯いた。
花を差し出す直次郎。
お佐和が嬉しそうにそれを受け取ると、
じっと直次郎を見つめた。
それから堪え切れずに直次郎に縋りついた。
直次郎はお佐和の勢いに少しよろけ、足を踏んばった。
(あちゃあ、やってくれる。まだ人目があるのによう)
雨が降る。まっすぐな雨が降る。
だが、この雨は暖かい雨だ。
すべてを洗い流し、代わりに何かを潤す恵みの雨だ。
そう伊三次は思う。
抱き合う二人の姿は、まるで紗を掛けた一幅の絵だった。




いつもありがとうございます
関連記事
スポンサーサイト



comment

Secret

プロフィール

cn7145

Author:cn7145
生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

カレンダー
07 | 2020/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
3606位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
1462位
アクセスランキングを見る>>
最新コメント