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宇江佐 真理 「心に吹く風・髪結い伊三次捕物余話」⑩

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一人息子の伊与太が、
修業していた絵師の家から逃げ帰ってきた。
しかし顔には大きな青痣がある。
伊三次とお文が仔細を訊ねても、
伊与太はだんまりを決め込むばかり。
やがて奉行所で人相書きの仕事を始めるが…。
親の心を知ってか知らずか、
移ろう季節とともに揺り動く、若者の心。
人生の転機は、いつもふいに訪れるもの。


・・・・・・・・・・・・・・・・

1.気をつけてお帰り
 「ほう、辛さを乗り越える術とは?」
龍之進はきいの顔を覗き込んで訊く。
きいは恥ずかしそうに二、三度眼をしばたたいた。
龍之進から視線を逸らし、
「走ることですよ。
どうしようもなくなった時は
柳原の土手を息が切れるまで走るんです。
するとね、不思議に元気になるんです
と、
きいは低く言った。



2.雁(かり)が渡る
 「手前ぇの伜だから肩を持つ訳じゃござんせんが、
兄弟子さんが伊与太に任せずに
先様へ絵を持って行きなすったら、
こんなことにはならなかったんじゃ
ねぇですかい」
伊三次は顔を上げて豊光に言った。
おっしゃる通りです、と豊光は応えた。



3.あだ心
 「上田秋成という戯作者が言ったことだが、
世の中を実直に生きることは『まめ心」で、
音曲や絵、おなごにうつつを抜かすことは
『あだ心』であるそうだ。
秋成は、世の中はまめ心で生きるのが本意だが、
己れはあだ心に生涯を委ね(ゆだね)ると決心したそうだ。
伊与太、お前はまだ若い。若過ぎる。
ここであだ心に触れるのも修行になるやも知れぬ」



4.かそけき月明かり
 さとが出刃包丁を持ち、自分の首に切っ先を向けていた。
「おっちゃん、おいら、ここで死ぬ。
銚子に帰ぇるぐらいなら死んだほうがましだ」
「やめろ、危ねぇから、やめろ」
伊三次は両手で空を押さえる仕種をして宥める。
「脅しじゃねぇよ。ほら、見ろよ」
さとは、自分の腕に出刃を当て、そっと突いた。
赤い点がつき、すぐさま糸のような血が伝う。
やめて、やめて。おふさがまた悲鳴を上げる。
「死ぬなんざ怖くねぇよ。
おいら、今まで何度も死ぬより辛い目に遭って
来たからな。いっそ死んだほうが楽だよ」
さとは大粒の涙をこぼしながら叫ぶ。
「そんなことはねぇ。生きてりゃいいこともある。
銚子にゃ帰ぇらねくていいぜ。
ずっとここにいても構わねぇ」



5.凍て蝶
 「さとちゃんを産んだ女が、
いかにも手前ぇが佐登里の母親です、
と名乗りを挙げ、相手はこれこれこういう男で、
育てることができなくて寺に捨てました、
とはっきり喋っているなら別さ。
母親もはっきりしない、まして、てて親もわからない。
銚子の村で噂になっていたことを
鵜呑みにしているだけじゃないか。
そうじゃないかも知れないと、なぜお前さんは考えない。
それがわっちにはわからないよ」
お文の言うことに伊三次はぐうの音も出なかった。
「大人の思惑で妙な目で見ることこそ、
さとちゃんが気の毒だ。
え?そうじゃないのかえ」



6.心に吹く風
 「お嬢さん、別に宝物があるからいいんだって」
「別の宝物?」
お文は怪訝そうにお吉を見た。
女中のおふさも帰って、茶の間は親子三人だけだ。
そこに伊与太がいないので、
なおさら感じられる。
お吉の他愛ないお喋りが、
その時の伊三次とお文にとっては慰めだ。
「お嬢さんは兄さんの描いた絵を持って行ったのよ。
不破様のお庭の絵と、
お嬢さんの姿を描いたものよ。
とても気に入って、一生の宝物にするんだって」



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生れも育ちも仙台。外見も性格もとても地味。物があふれているのが苦手。食べ物の好き嫌いほぼ無し。本と猫好き。好きな言葉「喫茶喫飯」。

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